清田:うちにも1歳半ちょっとの双子がいるんだけど、ベビーカーだと駅の改札を通るのもひと苦労だし、エレベーターのあるところまで遠回りしなくてはならなかったりする。周囲の人の歩くスピードについていけないし、乗り換え案内のアプリとかもスタスタ歩ける人が前提になっていて、まず間に合わない。そういうときに「自分はルールやシステムが前提としている人間像の外にいるんだな」ってひしひし実感します。

田房:そうそう。優先席や優先エレベーターはあくまで、それを必要としないA面の人たちが“配慮”で作ってくれたものなんですよね。だからA面しか知らない人たちは、それがB面にいる人たちがどのように必要としているものか、ぜんぜん知らされてない。

おなかの大きい妊婦の私を追い越して、大学生たちとビールを片手に持ったサラリーマンでパンパンに詰まった優先エレベーターが上がっていったとき、悲しすぎて涙がちょちょぎれましたよ。優先席もいつも埋まっていて、譲ってくれるのは赤ちゃんを抱っこしてるママばかりだった

気づかない、分からないから仕方ないけど、A面の人の「知らない」がB面の人たちの負担になっていることは、他にもたくさんあるはずです。ちなみにネーミング的にややこしいんだけど、「A面/B面」はレコードやカセットのような“裏表”の関係ではなく、あくまで「同じ社会の中にふたつの面がある」というイメージ。

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能力、肩書き…「human doing」としての私たち

田房:清田さんの場合はどうだったんですか?

清田:きっかけは「human doing」という言葉を教わったことでした。human beingと同じ「人間」を表す言葉なんだけど、ふたつの違いは何かと言うと、感情や欲求、価値観や生理的反応、その人が今まで生きてきた時間や歴史など、今そこにあるもの、否定しがたく存在しているものがベースとなっているのがhuman beingとしての人間であるのに対し、能力やスキル、資格や肩書き、役割、実績、年収、フォロワー数など、行為によって獲得したもの、積み上げたものの総体として捉えるのがhuman doingとしての人間であると。

田房:私はひとりの人間の中にも「A面/B面」があると思っていて、それはほとんど「doing/being」と重なっていますね。

上野千鶴子・田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』P117より引用

清田:すごくハッとしたのは、この社会は圧倒的にA面やdoingを重視していて、自分自身もそれにめちゃくちゃ引っ張られてるなと感じたこと。カッチリとした基準や枠組みがあって、計画通りに物事が進み、効率や合理化が是とされ、すべての行動にはゴールやコンセプトが設定されている。役割に則って振る舞うことが求められ、ひたすら生産性を上げ、結果を出すことで存在を認めてもらえる。それがA面の世界であり、そこではhuman doingでいることしか許されない……。