2021.06.26

「キャンセル・カルチャー」はなぜ問題なのか…? ネット時代特有の「意外な悪影響」

ベンジャミン・クリッツァー プロフィール

意見の「暴力性」が懸念されているが…

国家権力という「上」からの圧力によって自由が制限される事態は注目を集めやすい。しかし、昨今では、大衆によるキャンセル・カルチャーという「下」からの圧力が加えられることもある。

学問の世界で起こっている状況は、とりわけ特殊である。この世界では「上」でも「下」でもなく「横」からの圧力によって言論の自由が制限されることがある。つまり、大学教師や大学院生などのアカデミシャンたちが徒党を組んで、同じ立場にいるほかのアカデミシャンの意見を封じようとしたり、異なる意見を言っている人を学問の場から排除しようとしたりする動きが生じることがあるのだ。

実は、ミルが唱えたような「思想の自由市場」論は、とくに海外の人文系や社会学系の学者のあいだで否定されることも多い。彼らは、議論の場における「不均衡」と、意見に含まれる「暴力性」を強調する。そのような問題意識に基づくと、思想の自由市場論とは現実の事情を無視した理想論であるとしか見なされないのである。

 

思想の自由市場は、誰もが対等な立場で議論に参加できて、自分の言いたいことを他の人に邪魔されることなく主張できて、主張への賛否に関わらず敬意をもって接せられる、という状況を前提にしている。議論を行う人の属性は注目されず、あくまで主張の内容だけが取り上げられる、フラットな世界を想定していると言えるだろう。

しかし、現実における議論の場は必ずしもフラットではない、ということはよく指摘される。女性や性的マイノリティ、人種的マイノリティの人々の主張は、マジョリティの主張に比べて軽んじられることが多い。また、たとえば周りの人がみんな男性という状況では、女性は自分が言いたいことを毅然と主張することが難しい場合があるだろう。

さらに、マイノリティの人が多数派とは異なる意見を言って目立ったときには、マジョリティからの揶揄や誹謗の対象となりやすい。このように、議論の場には属性による不均衡が存在しており、マジョリティとマイノリティの立場は非対称である、ということが問題視されているのだ。

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