【戦争秘話】漫画やアニメにも描かれる「三四三空」。その偽らざる素顔に迫る。

「三四三空」の実像を追う・第1回後編
神立 尚紀 プロフィール

発動した秘密作戦

しかし、三四三空の任務はこれで終わりではなかった。先述のように、天皇の処刑をふくむ最悪の事態になった場合にそなえて、皇統を絶やさず国体を護持するため、皇族の子弟の一人をかくまい、養育する「皇統護持」秘密作戦が発動され、源田大佐、志賀少佐以下23名の隊員がこれに加わったのだ。

彼らは5班に分かれ、行在所の候補地を探し、さらに中央の情勢を把握するため、整備主任・古賀良一大尉と戦闘三〇一飛行隊・中西建造大尉を宮内省に、東京帝大卒の通信長・黒葛原伉大尉を同盟通信社に、それぞれ、いわば諜報員として送り込んだ。志賀少佐には、進駐してきた米軍に紫電改を引き渡す任務を終えたのち、匿う皇族を海路九州に運ぶため、大型船を操船できる甲種船長の免許証が用意された。

昭和20年9月14日、大村基地に進駐してきた米軍人と志賀少佐(中央)。
米軍へ紫電改を引き渡すため、機体のテストをする志賀少佐(操縦席)。

マッカーサーが天皇を認める姿勢を明確にし、天皇が戦犯として訴追されるおそれもなくなり、昭和22(1947)年5月3日に施行された日本国憲法で天皇が「国の象徴」と明記されたことで、皇統護持作戦は事実上、その意味を失った。しかし、それが完全に終結するには、なおも長い時間を必要としたのである。

昭和28(1953)年1月、源田司令以下総員が、大分県の鉄輪(かんなわ)温泉に集まった。源田としては、ここで皇統護持作戦の任務終結を告げるつもりだったという。だが、場所が大きな座敷で人払いもできず、はっきりとしたことが言えなかったために、なかには解散の意図が伝わらず、その後も任務を解かず、待機を続けていた者もいた。

 

皇統護持作戦の終結が、源田からようやく正式に隊員たちに伝えられたのは、戦後36年を経た昭和56(1981)年1月7日のことである。現代の目から見れば不思議なことだが、フィリピン・ルバング島で発見された小野田寛郎陸軍少尉が、昭和49(1974)年、かつての上官から直接命令を受け、ようやく投降に応じたように、命令は解除されるまで生き続けるのが「軍人」というものなのかもしれない。

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