最大勢力を誇った五代目山口組の最高幹部たち(撮影 眞弓準)
2021.06.25
# 山口組

日本最大の暴力団に君臨する当代組長を告発した男

報復にも怯まず立ち向かう

裏社会に強いジャーナリストの双璧、溝口敦と鈴木智彦。その溝口敦の話題作『喰うか喰われるか 私の山口組体験』を鈴木智彦が豊富な現場取材に基づく視点から説き明かす短期連載の第三回。過熱するヤクザジャーナリズムと巨大暴力との対峙が行きついた果てとは?

山一戦争の勃発

溝口はその後、大塩平八郎や創価学会の池田大作を書き、いったん広告代理店に就職した。38歳で再びフリーとなった際は、以前の文体を改めようと決心する。

「それまでのようには文章に凝らないと決めた。私の頭に浮かんだまま、分かりやすく平易な文章で書く。凝った文章を書いてもわかってくれる人は少なく、かつ難しい字や表現を使っていると、かえって読者を遠ざけてしまうと気づいたからだ」

もちろん溝口らしさはなんらスポイルされなかった。フリーになってすぐ、マスコミで創価学会批判に火が付いた。メディアでの発言権は椅子取りゲームと同じだ。溝口は『池田大作 権力者の構造』で、創価学会問題を論評できる席のひとつを手にしていた。後年、ハンナン畜産の浅田満を描いた『食肉の帝王』を上梓した際も、溝口がタブーに斬り込めば、読者の熱狂は保証されていた。実際、溝口の記事を載せた週刊誌は馬鹿売れし、週刊誌の売り上げランキングをひっくり返した。

溝口敦氏(撮影 岡田康且)
 

溝口がフリーになって四年後、山口組は分裂し、離脱派は一和会を結成した。翌年、一和会のヒットマンによって、四代目となった竹中正久が射殺されると、テレビは朝のニュース、昼のワイドショー、夕方のニュース、夜の特番で山一抗争を逐一報道し続けた。カメラは組事務所を直撃した女子アナウンサーが、暴力団に水をぶっかけられて退散する“映える画”を茶の間に提供した。

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