「山口組三代目」大ヒットの陰に存在したジャーナリスト襲撃計画

なぜ溝口敦は殺されなかったのか
鈴木智彦

見逃された男

では、飯干はこれをどう書いたか。

「日本の地下の王国が山口組と反山口組に二分されて、息苦しいまでの緊張感が昂まったときに、全国警察の徹底した侵攻各線が開始されたのであった。もはやヤクザ同士の戦いどころではなかった。

東京高輪のプリンスホテルで、山口組三代目は突如襲ってきためまいを必至になって耐えた。ここで倒れてはならない。ここは敵地だと田岡一雄は思った。だが意識が混濁してきた。次の瞬間に彼は倒れた。崩れるように山口組三代目の黒い背広姿が絨毯の上にうずくまった。

(中略)山口組三代目はあきらかに、過度の緊張、過酷な披露から倒れたのであった。彼の目前にいる敵は本多会でもなければ、関東ヤクザ連合でもなかった。山口組の目の前に立ちはだかっているのは国家権力であった」(『山口組三代目2 怒濤篇』)

文体の違いはいい。が、溝口が田岡の心臓病が、皮肉にも彼と山口組を守った側面があると指摘したのに比べ、飯干の分析は薄っぺらく、ヤクザに対する媚びもちらつく。

 

しかし山口組は飯干に激怒し、田岡一雄は当てつけのように『田岡一雄自伝』をアサヒ芸能に連載した。長男の田岡満にインタビューした際、山口組による飯干襲撃計画があったと聞いた。「知らない仲ではなかったので忠告した」という。

飯干程度の記述で襲撃なら、溝口は命がいくらあっても足りない。『喰うか喰われるか』に、『血と抗争』の出版直後、『平凡パンチ』が「山口組に殺されるかもしれない男」と溝口を紹介したエピソードがある。自身も気をつけていたという。

「本を書きあげた後、たしかに私は目立たないように務めていた。山口組やその組員がどう出てくるか、まるで予想がつかなかったからだ。そのため雑誌に署名記事も書かなかったし(注文もなかったが)、テレビにも出なかった。一度、関西のテレビ局から三一書房(※版元。筆者註)を通じて、出演してくれるよう依頼があったが、私は目立つこと、まして関西で目立つことを嫌い、出演を断った。たしかに本は書いたが、その後は息を殺していた」

なぜ見逃されたのか……これまで山口組にこうも深く斬り込んだ例はなかった。山口組は初めてジャーナリストに喰らい付かれた。不意を食らって反応出来なかったとしか思えない。

(文中敬称略)

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