暴力団専門誌の人間模様

溝口の原稿は超激辛なので、甘ったるい自主規制や提灯記事を中和する。爆弾をあえて発注するのは、提灯記事ばかりを掲載する自分たちのいびつさを自覚していたからである。溝口の原稿がなければ業界誌は御用雑誌に成り下がる。前述の『実話ドキュメント』さえ、いくらトラブルになっても、溝口の連載を中止しようとはしなかった。誌面に溝口敦の原稿が載っていれば、かろうじてジャーナリズムの体裁を保ち、表現の自由を楯に出来た。溝口は我々の心臓であり、魂であり、存在意義だった。

そうはいっても溝口ほどの強靱さはない。最低限、刺されないギリギリまで直さねばならない。溝口は話題のチョイスが核爆弾的な時があった。外科手術でごまかせないとつらい。地雷を取り除き、安全ラインまで無害化しようと思ったら、ばっさり切るしか方法がなかったりする。

 

「なぜわざわざヤクザが嫌がる話をするかな。溝口さんはこの組長が嫌いなのか」

「その通りだけど言っていいことと悪いことがありますよ、溝口さん」

直しはただちに編集部員で回覧され、地雷の位置が共有された。手直し後でも、溝口の原稿は迫力があった。スタンスが正しいから、表現を弱めても鋭かった。反対に立ち位置がおかしいとなにを書いても媚びが匂う。たとえば、暴力団の太鼓持ちとなって司法・警察批判をすると腐臭が消えない。

通常、記名原稿を直すなら著者に了解をとるのだが、特別連絡はしていない。溝口も刷り上がった雑誌を読んで抗議はしてこなかった。溝口はプロの雑誌屋で、根っからの出版人だから、編集部が生き残りのために業界誌を志向した事情は酌んでくれたのだろう。名ばかりの作家ほどプライドが高く、社会正義と理想論をぶち上げる。おまけに飯を食わせろ、酒を飲ませろ、VIP扱いしろとうるさい。

暴力団専門誌という異世界では、書かれる暴力団も、書く作家も、弱いヤツほどよく吠えた。

(文中敬称略)

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