2021.06.24
# 戦争

【戦争秘話】戦中と思えぬ楽しげな宴会。だが終戦の日、生き残っていたのは……。

「1枚の写真」後編
昭和19(1944)年5月27日(土)に撮られた1枚の写真。写っているのは、第二五二(ふたごおふた)海軍航空隊の司令、飛行隊長以下、零戦搭乗員の面々である。その日は「海軍記念日」の祝日。宴席に興じ、酔っ払って女装する者もいるその様子は、楽しげだがどこかやけくそな感じもする。この写真に写っている隊員のうち、1年3ヵ月後の終戦を、生きて迎えたのは3名だけである。(前編はこちら
昭和19年5月27日に撮られた別カット。 前列左から、筒口金丸上飛曹(19.12.11フィリピン・クラークで戦死)、若林良茂上飛曹、村上嘉夫二飛曹、成田清栄飛長。

悪化する戦況

圧倒的な航空兵力をもって進撃速度を増した米軍をはじめとする連合軍は、6月15日、サイパンに米軍が上陸したのを皮切りに、いよいよ日本の喉元ともいえるマリアナ諸島への侵攻を開始した。

サイパン、テニアンが敵手に落ち、米軍の新型爆撃機・ボーイングB-29がそこを拠点にすれば、日本本土のほぼ全体が爆撃可能圏内となる。

空母九隻を主力とする日本海軍機動部隊は、空母十五隻を揃えた強力な米機動部隊に総力をもって挑んだが、6月19日から20日にかけて戦われた「マリアナ沖海戦」で大敗を喫し、虎の子の空母搭載機がほぼ全滅する。

いっぽう、日本本土からは、横須賀海軍航空隊と、二五二空をふくむ第二十七航空戦隊とで臨時に編成した「八幡(はちまん)空襲部隊」と第三〇一海軍航空隊が小笠原諸島の硫黄島に進出、味方機動部隊に呼応してサイパン沖の敵機動部隊を攻撃することを命ぜられるが、梅雨前線に行く手をはばまれ、ようやく第一陣が進出できたのはマリアナ沖海戦も終わった6月下旬のことだった。

 

二五二空は、6月21日、粟大尉の率いる30機が硫黄島に進出した。

日本機動部隊を殲滅した米機動部隊は、勢いに乗じて、こんどは日本本土からのサイパン救援の動きを封じるため、硫黄島に向かった。

6月24日、五百ポンド爆弾を搭載したグラマンF6F戦闘機51機が、硫黄島を急襲する。日本側はレーダーでこれを察知、横空、二五二空、三〇一空の零戦59機で邀撃したが、零戦隊は、F6Fを6機撃墜の戦果と引き換えに34機を失ってしまう。

さらに日本側は、第一次・天山艦攻20機、第二次・天山艦攻9機、彗星艦爆3機、零戦23機、第三次・一式陸攻18機の攻撃隊を敵機動部隊に向け発進させるが、F6Fに行く手を阻まれ、敵艦になんらの損傷も与えることはできず、この日の未帰還機の合計は60機にのぼった。

二五二空も、粟信夫大尉、桝本真義大尉、勝田正夫少尉、橋本光蔵飛曹長、名倉誠上飛曹、戒能守上飛曹、小山勇上飛曹、辻忠呂久一飛曹、吉岡恒右門飛長、佐藤忠次飛長の十名を失った。

海軍記念日の宴会から、わずかひと月足らずのことである。

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