昭和19年5月27日に撮影された1枚の写真。

【貴重写真】羽目を外し、女装をする者も。笑顔で写る若き零戦搭乗員達のその後。

「1枚の写真」前編

宴席に興じる隊員たち

まずは写真をご覧いただきたい。

昭和19年5月27日、三沢基地。二五二空の隊員たち。

この写真、いつ、どんなグループを撮った写真かお分かりになる読者はいるだろうか。

みんなもう、相当酔っぱらっているであろうことは、色彩のない白黒写真からも伝わってくるから、酒席であることはわかる。楽しげといえば楽しげだが、なんだかやけくそな感じもする。襟の階級章を見て、旧日本海軍の軍人であることに気づいた人もいるかもしれない。だが、女性のような姿もあるし、軍隊で撮られた写真にしては、なんだか拭いがたい違和感が残る。

 

正解は、昭和19(1944)年5月27日(土)、当時は祝日だった海軍記念日に、青森県の三沢基地宿舎で撮られた、第二五二(ふたごおふた)海軍航空隊の司令、飛行隊長以下、零戦搭乗員の面々である。

軍隊の隊内だからあたりまえだが、女装している者もふくめ、全員が男である。顔が写っていない者もふくめ30名ほどが収まっているが、この写真に写っている隊員のうち、1年3ヵ月後の終戦を、生きて迎えたのは3名だけである。

氏名が判明しているのは、前列左から、後藤喜一上飛曹、宮崎勇飛曹長、木村國男大尉、飛行隊長・粟信夫(あわ のぶお)大尉、司令・舟木忠夫中佐、花房亮一飛曹長。二列目右から二人目・桝本真義大尉、村上嘉夫二飛曹(女装)、勝田正夫少尉、成田清栄飛長(飛行兵長)、成田飛長の左上・角田(つのだ)和男少尉、角田少尉の上の化粧姿・若林良茂上飛曹、その右・橋本光蔵飛曹長。

30代後半の舟木中佐以外は全員が、10代後半から20代半ばの若者だった。

さて、通常の土曜日ならば午前中の勤務があるところ、この日は海軍記念日ということで、三沢基地では、隊員たちの慰労演芸会を催したり、一般客を基地内に招いて屋台を出したりする、いまで言うところの「基地祭」あるいは「オープンハウス」が予定されていた。

ちなみに「海軍記念日」とは、日露戦争時の明治38(1905)年5月27日、東郷平八郎大将率いる聯合艦隊がロシア・バルチック艦隊と戦い、一方的勝利をおさめた「日本海海戦」にちなんで制定された祝日だが、太平洋戦争敗戦とともに廃止された。

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