2021.07.07
# 芸術 # 日本史

戦時下に、娯楽の検閲官は一体何をしていたか?知られざる権力の実態

大衆娯楽への圧力はいかにして生じたか
金子 龍司 プロフィール

洋画やクラシック好き

しかし、そうであれば、冒頭で見た古川ロッパや渡辺はま子に対する弾圧は、どのように説明できるのか。文化芸術の愛好者が文化芸術を弾圧することなどあるのだろうか。

この問を解くヒントが、検閲官の信念である。彼らは文化芸術を好んだといっても、実はかなり選り好みをしていた。彼らが好んだのは、映画でいえば洋画だったし、演劇でいえばイプセンなどの社会派の作品だったし、レコードではクラシック音楽だった。一方で、日本映画や大衆喜劇や流行歌は、一貫して問題視され続けた。

この背景には、西洋の芸術作品が人格を向上させるとする教養主義的な信念が存在していた。この信念は当時のエリート一般が高等教育を受ける過程で身に付けていたものだったが、ごく簡単に述べれば、西洋の芸術に近ければ近いほどいいものと見なされた。

この立場からすると、当時の日本映画や大衆喜劇や流行歌は、芸術とは程遠い位置にあり、観客の人格を向上させるどころか、営利目当てに観客に迎合して悪影響をもたらし、人格を低下させてしまう代物であった。

問題視された事柄としては、たとえば映画では裸体、接吻、姦通やそれを連想させるシーンや、女性観客の涙を振り絞るためのリアリティのない強引な筋立て(御都合主義と呼ばれた)、演劇では芸人の一発ギャグや扮装、レコード流行歌では卑猥な歌詞や「ネエ小唄」と呼ばれる一連の会話調の煽情的とされた歌い方などがあった。

検閲官たちは、主観的には自らの立場を利用してこのような場面や表現などを取り締まることで、娯楽を向上させようとしていた。

当局を動かす市民層の投書

しかし、当時大衆娯楽は全国津々浦々にまで広がっていた。映画の封切本数は36年時点で邦画洋画合わせると優に800本を超えていたし、演劇の検閲対象は都市の盛り場の劇場のみならず、ドサ回りと呼ばれた巡業劇団までもが建前上は含まれた。このなかで、人数の限られた検閲官たちは果たして十全に職務を執行できていたのだろうか。

実は、上のような理想を掲げながらも、実際の検閲はかなり不公平に行われていた。当局は、初めから娯楽については社会的影響力の多いものから重点的に取り締まる方針を取っていた。芝居でいえば、歌舞伎などの古典劇は検閲基準が緩かった反面、エノケンや古川ロッパなど人気の大衆喜劇役者は警戒され目を付けられていた。

「エノケン」こと榎本健一

ここで重要なのが、当局にとって社会的影響力の大きさを示す指標が、一般市民層からの投書だったことである。

ネットやツイッターが存在しない時代、投書は一般市民層が自らの意見を公にできる数少ないツールの一つだった。投書には放送局、レコード会社、当局など当事者に直接送付されるものと、新聞社に送付されて誌面に掲載されるものがあった。

投書者たちは当時「投書階級」と呼ばれていた。これは投書が良識ある紳士のなす業とは考えられていなかったことや、彼らがインテリ層とも、娯楽を享受する大衆層とも異なった階層であったことによっていた。具体的にはサラリーマン、公務員、学校の教員、商工業などの新中間層が中心を占めていた。

第2回につづく)

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