2021.07.07
# 芸術 # 日本史

戦時下に、娯楽の検閲官は一体何をしていたか?知られざる権力の実態

大衆娯楽への圧力はいかにして生じたか
金子 龍司 プロフィール

検閲官たちの横顔

検閲官たちがどんな人たちだったか調べてみると、意外なことがわかってくる。彼らのことを、一概に無知無教養とか文化や芸術に理解がなかったとか言い切ることができなさそうなのである。

先述のとおり、検閲官は内務省や警視庁などの役人であった。時期にもよるが、大体内務省の映画検閲官は十数名、レコード検閲官は2名、都内の芝居やミュージカルなど舞台興行の検閲を行っていた警視庁の興行係は2~3名が配属されていた。

彼らの学歴は、大卒が多かった。大卒といっても、中学校など中等教育への進学者が尋常小学校卒業者の10人に1~2人だった時代の大卒である。社会全体からすれば、エリート層には違いない。この時点で、少なくとも検閲官が無知無教養だったとはいえなそうだ。

しかし、もっと興味深いのは、彼らが映画や演劇や音楽を好きで検閲を行っていたことである。

つまり、学生のときから映画を愛好していたり、朝から晩まで芝居の本を読めるから演劇の検閲官を志望したり、中学生のとき、故郷から東京に出た先輩から、東京で流行っているとして中山晋平作曲『カチューシャの唄』を聞かされて随喜の涙を流した経験を持っていたりするような面々が検閲を行っていた。

彼らが文化芸術に理解のない手合い、ということもできなそうである。

文化芸術を守った検閲官たち

彼らはこのように映画好き・演劇好きであった。したがってたとえば演劇の検閲では、上席が部下に場面のカットを指示しても、部下が原作者の意図を尊重して否を主張し、激論に至ることがあった。

演出家の阿木翁助の回想によれば、花柳章太郎主演で川端康成の『雪国』が舞台化された際、警視庁による検閲で「若い将校連が酔って軍歌をうたい乍ら行進する場面」が問題となった。

演出家・阿木翁助

演出者の阿木は、「軍人が酔っぱらって乱暴をはたらくならとにかく、出陣をひかえて志気高揚しているところだから、観客はむしろ好感をもってみるのではないでしょうか」と意見したところ、検閲官のうち、「若い氏田氏は、たちまち賛意を表した」。

しかし、上席の「千賀氏はガンとしてダメ」だといい、両者は「わたしの前ではげしい口論」となったという(阿木翁助「検閲の人たち」(『悲劇喜劇』、1972年8月号))。

また、映画検閲官の中には、検閲に干渉する軍部と作家の間に立って調整を重ね、軍部から問題視された作品を検閲で通してしまった者もいた。

脚本家の八木保太郎の回想によれば、豊田四郎監督『わが愛の記』の脚本は、当時内務省に出張していた憲兵が「八木保は反戦だ、これはけしからぬ」、として担当検閲官に圧力をかけ、許可を妨げていた。

しかし、その検閲官が八木と憲兵の間に入って折衝し、「中に入つた人が骨を折つて、いろいろ削除して一応陽の目を見た」という。検閲官が、軍部から反戦のレッテルを貼られた脚本家の作品を活かすために尽力していたのである(「表現の自由を守るために座談会」(『シナリオ』、1956年10月号))。

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