新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち

DIG 現代新書クラシックス(7)
田野 大輔 プロフィール

ポリコレへの反発

筆者のツイートに寄せられた批判的なリプライを動機づけているのはおそらく、ナチスを「絶対悪」としてきた「政治的正しさ(ポリコレ)」の専制、学校を通じて押し付けられる「綺麗事」の支配への反発である。ナチスの「良い政策」をことさらに強調することで、彼らは自分たちの言動を制約する「正義」や「良識」の信用を貶め、その「抑圧」からの脱却をはかっているのである。

 

こうした姿勢には、ポストモダン的な価値相対主義の影響を認めることができるかもしれない。事実、筆者に寄せられた批判のなかには、中国の人権問題などを持ち出して、ナチスの戦争犯罪を相対化しようとする主張が数多く含まれていた。

「ナチスを批判するのに中国を批判しないのはおかしい、ダブルスタンダードではないか」というわけだが、中国がいかに酷い弾圧を行っているからといってナチスの悪行が免罪されるわけではなく、両者はあくまで別個の問題である。この種の詭弁に満ちた主張には、善悪の基準を攪乱しようとする歴史修正主義的な意図が見え隠れしている。

もちろん、世の中の支配的な価値観をうのみにせず、たえず権威を疑って批判的に考える姿勢そのものは、けっして否定されるべきものではない。それはむしろ、学校教育において育成されるべき重要な資質・能力の一つだと言ってよい。

だが「ナチスは良いこともした」と主張する人たちにあっては、そうした反権威主義的な姿勢はいわゆる「中二病」的な反抗の域を出ず、歴史から真摯に学ぼうとする態度につながることはほとんどない。

そこでは多くの場合、学校的な価値観への反発が「教科書に書いていない真実」への盲信に直結している。一般に出回っている不正確な情報、怪しげなデマの類でさえ、「教科書的」な見方を否定するものであれば、いともたやすく「真実」と見なされる。

かくも多くの人がこの落とし穴にはまってしまう原因はほかでもなく、そうした情報が権威にとらわれずに「自由」に物を言いたいという欲求と、自分たちは「本当のこと」を知っているという優越感とを同時に満たしてくれる点にある。

自分の欲求や偏見に合致する情報だけを集めて作られる独りよがりな「真実」の行き着く先は、「すべては仕組まれている」とする陰謀論である。アメリカ大統領選で「不正選挙」のデマを拡散した「Qアノン」の信奉者たちの言動は、その種の陰謀論がいかに危険で破壊的な影響を及ぼしうるかを如実に物語っている。

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