社会党はなぜ安保反対運動を起こしたのか
佐藤優 1955年に右派と左派の再統一を果たした社会党が再び分裂してしまった大きな理由のひとつが、岸信介首相時代に行われた日米安全保障条約の改定でした。
安保に対して社会党左派は、これはアメリカへの従属を強め日本を戦争に導くことになるとんでもないものだと猛反発し、社会党や共産党、総評、全日本学生自治会総連合(全学連)などが集まって安保改定阻止国民会議が結成された。
ただその中でも社会党右派は、反共路線から安保改定に賛成した。右派の西尾末広は、国民政党としての性格を失った社会党を批判し、党の安保反対一本の姿勢から距離を取ったのです。
しかし、この改定で岸が目指していたのは、むしろ日本の対米自立でした。

池上彰 そう。1952年に締結された旧日米安保条約では、条約に基づいてアメリカ軍が日本に駐留することを認める一方でアメリカが日本を守る義務を規定していなかった。
だから日本が攻撃されてもアメリカは日本を守る義務は負っていなかった。また驚くべきことに、日本国内で大規模な暴動が起きて、日本政府がこれを単独で押さえ込めなかった場合、アメリカ軍が出動できることにもなっていた。
だから岸は、日本にアメリカ軍を駐留させる代わりに日本が攻撃された際にアメリカが守る義務があることを認めさせ、日本国内の暴動をアメリカが鎮圧・弾圧する規定も除外させた。岸が60年の安保改定で目指したのは主にこの2つですね。
なので冷静に考えれば、別にそこまで批判されることではないとも思えるのだけれど
も。
佐藤 実際に条文を読んでみれば明らかにそう言えますし、実態とイメージの隔たりがかなり大きいわけですが、社会党の主導で反対運動が盛り上がってしまった。
池上 安保条約が改正されることによって、アメリカ軍の恒久的な日本駐留を認めることになり、これによって日本が台湾や朝鮮半島での戦争に巻き込まれるリスクが生じる、という主張に基づいて反対運動を起こしたのは社会党でした。
共産党はその前の武力闘争がたたって選挙で大敗北を喫し、衆議院での議席を1つしか持っていなかったので、国会での闘争は社会党中心に実行せざるを得ませんでしたからね。