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将来の総理候補・小川淳也が「東大→官僚」を経て“日本を良くしたい”と思うまで

「地盤・看板・カバン」なし。野党で子分もいなくて、ほぼ無名。なのに、「将来の総理候補」として人気上昇中…!自称「日本を良くする政策オタク」。永田町でのアダ名は「修行僧」。

そんな50歳の清貧代議士小川淳也議員(立憲民主党)の考える政策の全貌と人物像に迫った現代新書の新刊『本当に君は総理大臣になれないのか』から、ノンフィクション作家の中原一歩氏によるルポの一部を特別公開する。小川議員の「原点」とは?

「自分のまいた種は自分で」

小川家の教育方針は一風変わっていた。「勉強しろ」と頭ごなしに命令されたことは一度もない。小学校6年生の頃、小川は町中のゲームセンターで遊んでいるところを学校の教諭に見つかり、両親に知られてしまう。

 

ところが雅弘は息子を怒るどころか「そんな些細なことで目くじらを立てるな」と教諭を一喝した。自分の都合で淳也を怒ったことはあったが、他人の都合で息子に文句を言わせることはなかった。徹底して子供の側についたと雅弘は言う。

かと思えばこんなこともあった。

小学校の昼休み、同級生とドッジボールで遊ぼうとした小川は、先に陣地をとっていた別クラスの友人に「どいてくれ」と横柄な態度をとり、無理矢理、その場所を占拠してしまった。

その日の放課後、事件が起こる。怒りが収まらないその友人らが仕返しのために、15人ほど集まって小川の自宅を取り囲んだのだ。自宅には小川と妹だけがいた。恐怖を感じた妹が「お兄ちゃんを助けて」と雅弘に電話で泣きついた。だが、雅弘はその電話を一蹴する。最初は家のカギをかけて立て籠もっていた小川だが、結局カギを開けて外に出た。その日はコテンパンにやられた。

その夜、雅弘は傷だらけの小川に「よくやった」と声をかけ、こう言った。

「自分のまいた種は自分で刈り取れる大人になれ」

後に小川はこの事件を振り返り、人間が生きる上での「掟」のようなものを雅弘にたたき込まれたと回想している。

雅弘の教えは現代の「浪花節」だ。昔気質の義理人情の世界と言ってもいい。

小川は高松市で生まれ育った(高松市 栗林公園 photo by gettyimages)

「ごく普通の中学生」の転機

後に小川は地元の進学校から東大法学部、中央官庁の官僚という典型的なエリートコースを歩むことになる。それだけに勉強一筋のスパルタ教育を父親から受けてきたのではないかと思われるかもしれない。だが、小川家では「成績」や「学歴」にあまり重きを置いていなかった。

地元の公立中学に進んだ小川は念願の野球部に入部する。だが、後に修行僧の異名をとるようなストイックな一面はまだ持ち合わせていない。勉強こそ普通にできたが、大好きな野球も中途半端。当時の全国の少年を夢中にさせた伝説の番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)とおニャン子クラブにハマったごく普通の中学生だった。

「『今日も夕ニャン見るので練習は休みます』。そう言っては練習をサボりました。たまにグラウンドに行くと、先輩から『久しぶり』と声をかけられたほどです」

そんな小川が「いつか日本を変える仕事がしたい」などと言い出すのは、父の母校でもある高松高校に入ってからだ。雅弘は「努力すれば東大合格にも手が届く」成績だった息子にこう言い聞かせた。

「日本の政治家にはロクなものがいない。官僚が立派だからこの国は良くなったんだ。お前も東大を卒業し、悪い政治家に影響されない立派な官僚になって、この国の役に立つ人間になれ」

当時の日本政界はリクルート事件をはじめ、自民党による金権政治の全盛期だった。賄賂と汚職が横行。政治家は「みんな悪人」。政治に対する不信と嫌悪感が日本中を覆っていた。父の言葉を真に受けた小川は、憧れの野球部に所属しながら東大進学を目指そうと決める。

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