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1日はなぜ24時間で、時計は1周12時間なのか?

誰かに話したくなる『時計の科学』4

人類はどのように「時間」を発見し、そして「時計」を作ってきたのか? 時の研究家・織田一朗さんに人類と時計の歴史を5回の連載で解説していただきます。

ここまでの3回の連載では、はじめて人類がつくったとされる「日時計」から、機械式時計まで、さまざまな種類の時計を紹介していただきました。今回は、すこし視点を変えて時間そのものにまつわる疑問を考えてみます。

(本稿は『時計の科学』の内容を再編集したものです)

1日はなぜ24時間なのか

学校教育で十進法をたたき込まれる現代人にとって、時間の十二進法、六十進法は若干の違和感を覚えます。他にはあまりない単位だからです。なぜ、このような計量単位が生まれたのでしょうか。

歴史を調べると、古代の人々は身体の部位を基準にして計量の単位を築いています。指を折って数を数えただけでなく、身体の部位をモノサシに使っているのです。例えば、親指の幅(インチ)、こぶしの幅(パルム)、親指と小指を張った長さ(スパン)、ひじの長さ(キュービット)、足の爪足からかかとまでの長さ(フィート)などです。

モノサシなどがなかった時代には、ものの長さを測る場合に、まずは親指を当ててみて、より長ければこぶしに代えて測るとか、こぶし何個分といった測り方が一般的だったようです。しかし、時間の体系では身体の部位の寸法を当てはめて計るわけにはいきませんでした。

「分」「時」「日」の時間や角度の測り方は、紀元前15世紀頃にチグリス・ユーフラテス川流域で生活を営んでいたバビロニア人によって体系化されたと伝えられています。角度の1度を円周の360分の1とする考えは、太陽が天空を1周するのに要する時間(1年=365日)を基礎にしているようです。

人類は月の満ち欠けが約30日のサイクルで繰り返され、それが12回で再び同じ季節が巡ってくることを知っていましたし、バビロニア人は太陽が地平線に顔を出し始めてから、完全な姿を現すまでの時間(約2分)を一つの基本単位とすると、720(12×60)個分で一昼夜が経過することにも気がついていました。したがって、天文の分野では12や60が重要な数字として認識されていたのです。

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また、当時のバビロニアで使われていたシュメール数学では、数の多い単位の区切りとして十二進法や六十進法が多用され、1より小さなものを表すのに60分割することも行われていました。シュメール数学とは、バビロニアの前にこの地で文明を開花させたシュメール人が編み出したものです。

シュメール人自体はもともと移民としてバビロニアに移住したもので、祖先はよく分からないのですが、温和な民族で根気強く、湿地帯を乾かし農耕の習慣をつくり、貿易を発展させました。都市には壁を築き、車輪のある乗り物まで使っていました。さらに、くさび形文字、ろくろ、数式、最初の法律、踏み車、ブランコ、ハンモック、ボール・ゲームなども発明しています。

シュメール人が十二進法や六十進法に固執した理由はまだ完全に解明されていませんが、親指を除く手の指の関節が12本あることを利用して数を数えていたという説があります。一方の手の指を折りながら十の単位を数え、もう一方の手の関節で一の単位を数えると、両手で60までカウントできます。しかも、12は、1、2、3、4、6の倍数、60は1、2、3、4、5、6、10、12などの倍数です。角度に使われる360も約数が多く、さまざまな場面に利用できるので便利だったためではないか、というわけです。

時間単位の源は、明確ではありませんが、時間の計り方は天文分野との関連を深くもちながら発展しました。一般人の生活では、細かい時間を規定する必然性は少なかったのですが、天文分野では細かい時間だけでなく、全体の体系が必要だったからです。

年と日が十二進法で、時間と分が六十進法で組み立てられることによって、1年間を秒に換算すると、60秒×60分×24時間×365日で、3153万6000秒となります。

現代の数学から判断すると進法に一貫したルールがないために不合理に思えるのですが、古代バビロニアで暦や時間体系を決めるにあたっては、数学、天文学、占星術など当時のあらゆる学問、知識を総合的に考えて決定されたのでしょう。

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