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“コーチライセンス=お金儲け”の日本でスポーツが発展しないワケ

ほめて伸ばすコーチング(5)
皆さんには、人生を決定づけた監督やコーチとの出会いがあっただろうか? あるいは、あなたのお子さんにはそのような存在がいるだろうか。日本のスポーツ界に目を向けると、哀しいかな確たる理論も持ち合わせず、未だに鉄拳を用いる指導者が存在する。
日本のスポーツ界は変わらなければいけない。本日発売の『ほめて伸ばすコーチング』から一足早く、スポーツ環境の改善に役立つ提言を公開。>今までの連載はコチラ

指導者の意識もレベルも低すぎる

元全日本男子バスケットボールチームの監督である吉田正彦は、1941年4月18日生まれ。暁星中学でバスケットボールと出会い、高校時代にインターハイでベスト4。立教大学では3年次に全日本総合選手権で優勝。卒業後は、当時の日本リーグで最強だった日本鋼管に就職した。ポジションはポイントガード。

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大学生だった1962年以降、7年余り日本代表として数々の国際試合に出場した。が、1964年の東京五輪は直前で右足を骨折したため、メンバーから漏れている。ミュンヘン五輪(1972年)はコーチとして、モントリオール五輪(1976年)は男子日本代表監督として指揮を執った。当時のジャパンは、アジア王者として五輪本戦に挑んでいる。

 

私は彼に、日本のバスケットボールの問題点を訊いた。

確かにBリーグが始まり、600人ものプロ選手が誕生しましたが、客を呼べる選手が一体何人いるでしょうか。名前ばかりのプロが誕生してしまった。選手を厳しい目で選別し、クオリティーの高さを求めなければいけない。技術も人間性も未成熟な者ばかりです。だからこそ、きちんとしたプログラムで育成しなければならないのに、指導者の意識もレベルも低すぎる。バスケットボール選手を育て上げる土壌が日本にはない。私は、日本のプロリーグは10チームくらいが精一杯だと見ています」

吉田は全日本の監督時代、NBAのポートランド・トレイルブレイザーズやオレゴン州立大、カリフォルニア州立大バークレー校、アリゾナ州立大など、アメリカ西海岸の大学との合同練習や練習試合を数多く組んだ。

「ありがたいことに、トレイルブレイザーズはNBAの1軍が相手をしてくれました。100点以上取られて、こちらは40点くらいでしたね。20都市で約50日間、40試合をこなしましたが、一試合も勝てなかった。でも本場でボコボコにやられたからこそ、日本選手はこの米国遠征で自己のテーマを肌で感じ、メンタル面も成長を遂げました。それで、常勝アジアの地位を築けたのです」

日本代表メンバーがアメリカの選手から最も影響を受けたのが、モラルと自覚だった。

「体育館での練習が終わると、あちらの選手たちはトレーニングウエアやソックスをネットに入れておくんですね。すると翌日、洗濯して綺麗に折り畳んで渡される。それを優遇されていると捉えるのではなく、自分はこういう人々に支えられているんだ。彼らに感謝の気持ちを伝えよう。自分を支えてくれる周囲のためにも勝利しなければいけないというメンタルになっていきます。また、プレーに集中できる己を誇りにも思います。だから今のポジションを失ってはならないと、努力するんですよ。

アメリカの選手たちは、バスケットボールの楽しさを分かっていますね。まず楽しさがあって、色々な技術を身に付けていく。楽しいから、教わった事柄を繰り返して練習できる。そのステップが日本は混乱しています。でも、当時の全日本メンバーは、日の丸のユニフォームを着ることの意味を理解していました」

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