なぜ「性欲の肯定」ばかりが重要視されるのか

2020年8月に、「教師の性暴力に苦しんだ女性の告白「先生は一切避妊をしなかった」というタイトルの記事を公開した。高校時代に受けた性被害の経験を20代の女性(桑沢まりかさん)が切実な気持ちで告白してくれた記事だった。公開とともに大きな反響を集め、「切なすぎて言葉が出ない」「大人からの支配的な性被害は今も後を絶たないのはなぜ?」といった声が数多く集まった。

2020年8月の桑沢さんの記事。多くの反響があった。

そして、先日の性犯罪刑法改正に関するワーキングチームで飛び出した、立憲民主党の本多平直衆院議員の発言を桑沢さんも耳にし、絶望したという。

SNSなどには、性被害者に対して、「嫌だったら断れるはず」「逃げなかったのが悪い」「10代だって誘う子はいる」という心ないコメントも目にする。

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しかし妊娠もしうる、感染症にもなりうる「性行為」を14歳に行うことが、果たして「恋愛」といえるのだろうか。性教育が遅れていて、性交によるリスクを子どもたちがよくわかっていないと言われ、それゆえに緊急避妊薬のOTC認可がずっと下りていない日本で、「同意がある」と言い切れるのはどういう意味なのか。それを「捕まることになるのがおかしい」と言い切る根拠は何か。

謝罪し、撤回したとは言え、本多議員の発言と、その発言を受けた多くのSNSのコメントを見ると、世界の多くの国で当然のように対象年齢を16歳に引き上げられている中、日本では「性欲の肯定」ばかりが重要視されていると言われても仕方ない。もちろん性欲は当然のことだし、性行為が悪いことなわけではないのだけれど。

性被害にあった当事者にとって、「拒絶しない=同意」とは言い切れない。背景に支配的な関係性や恐怖などで心も体も固まってしまうこともある。性被害にあった桑沢さんが感じた当時のどうにもならなかった思いと、今回の本多氏の発言に対して感じた絶望を寄稿してくれた。勇気を振り絞って出された訴えを、どのように感じるだろうか。