〔PHOTO〕iStock

「役に立たない」研究や学問は不要なのか? その歴史的経緯と研究の未来

ある研究が「役に立つ」かどうかが無闇に取り沙汰され、大学人からそれに対する不満が噴出するようになって久しい。

しかしそういう考えを科学者・研究者に求める傾向が強まったのはいつからなのか。
たとえばアリストテレスやニュートンが「役に立つ」かどうかを第一に考えて研究や思索をしていたとは思えない。また、短期でわかりやすい「役に立つ」をあまりに優先するとむしろ中長期的に重要な発見やイノベーションをとりこぼす、とも言われる。

ではこの「役に立つ」かどうかを第一に求める考え・動向のどこが難があり、どう付き合っていけばいいのか。

初田哲男、大隅良典、柴藤亮介との共著『「役に立たない」研究の未来』(柏書房)の著者のひとりであり、「有用な科学」をめぐる歴史を研究してきた隠岐さや香・名古屋大学大学院経済学研究科教授に訊いた。

 

「役に立つ」研究をめぐる論点整理

――産業界などからの「役に立たない研究や学問は不要だ」という圧力が大学に対してあり、学術サイドからは「いや、役に立たないように思われている研究も本当は役に立つ」とか「役に立たなくていい」といった反応が見られますが、歴史を踏まえるとこの研究に「役に立つ」を求める問題は、どのように論点を整理できるでしょうか。

隠岐 大きく分けると

・研究はそもそも「役に立つ」べきか 「役に立つ」以外の研究動機の伝統
・誰にとっての/どんな目的での「役に立つ」なのか
・“いつ”役に立てばいいとみなすか 長期・短期の時間軸
・当たり前すぎて重要さに無自覚な領域、「役に立つ」のに軽視されている領域もある

といったことがあります。

――順にうかがいます。そもそも役に立つ/立たないのがどちらがいいのかという議論、「役に立つ」以外の動機も伝統的にある?

隠岐 はい。たとえば古代ギリシャのアリストテレスは「何かの役に立つ」とは「自由ではない」こと――言いかえれば、奴隷的であることだとみなしていました。「何かのため」ではなく「それ自体のため」に考える、すなわち知や学問であれば、「知りたいから知る」ことが自由な学の条件である、と 。

ただこうした知的好奇心重視の姿勢に人気がない時代もあって、この2、30年ほどは特に日本では人気がなかった。というのも、アリストテレスの言う「自由な学」にはどこか貴族的な、生活に困らない人が好きにやっているような印象があって、社会に余裕がなければ、おそらく人々の琴線には触れづらい。

現実的に言っても、自然科学の研究では多額の資金が必要ですから、お金の出し手の都合に沿う「役に立つ」出口を意識せざるをえません。また、人文・社会科学系は、子どものような純粋な目で「おもしろい!」だけで研究する・研究できる分野ではありません。たとえば差別の問題を扱うときに「純粋な知的好奇心」だけで取り組むのはまずい。研究対象自体への責任感や誠実さ、距離を持つ必要があります。

とはいえ、ありとあらゆる人が奴隷的ではない知的好奇心をなくしてしまった状態の窮屈さ、「知りたいからやる」が完全に失われた社会を想像してもらえれば、役に立つ/立たないを第一義に考えずに知的な喜びを追求することの重要性もわかっていただけると思います。

関連記事

おすすめの記事