1993年、パリコレにモデルとして参加して以来、モデル活動に、執筆や講演活動にとフル回転。常に前向きかつフェアなメッセージと笑顔で、多くの人を元気づけているアン ミカさん。なぜアン ミカさんは、いつもポジティブに輝いているのでしょうか。アン ミカさんが今のアン ミカさんになった秘密を、「言葉」をキーワードにし、その言葉にまつわるエピソードをお聞きして紐解く本連載。読むだけで心がちょっとラクになる、ビタミンのようなメッセージを受け取ってください。

連載第3回と4回では、アン ミカさんが15歳のときに天国に旅立ったお母様から受け取った言葉“4つの魔法”のうちの2つ「姿勢を良くする」「口角を上げて笑顔になる」についてお伝えしました。5回では、3つめ、「相手の目を見て話す」についてお聞きします。心に留めている31個の言葉をまとめた、『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』にも多く含まれているお母様からの言葉の背景を教えてくれます。

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「人と話す時は、時々目を逸らしなさい」

母が教えてくれた“4つの魔法”の中に、「相手の目を見て話す」という言葉があります。一見当たり前のことのように思えますが、母の場合は少し違っていて。「人と話す際はしっかり目を見て、そして何秒かに一度は目を逸らすようにしなさいね。長時間ジーッと見つめていては相手を緊張させてしまうから」というものでした。

その際、目を横に逸らすと、なんとなく嘘をついているように見えてしまいます。なので、相手と自分との間に目線を落とすのがポイントなのだとか。ちょうど“汽車ポッポ”をするように小さく前にならえのポーズをして、その指先の中間あたりに目をやるイメージですね。そしてまた相手の目を見る、を繰り返す。こうすることで相手への圧が減り、好印象を与えられるのだそうです。

母はメイクをする時にも人の視線を意識していました。これは美容部員の講習で習ったのだと思いますが、三面鏡を使ってお化粧をする際に、あまり正面を見ないのです。眉毛すら正面を向いて描きません。

理由を聞いたら「ミカちゃん、一体世の中の何人がママの顔を真正面から見ると思う? 普通は横とか斜めとか、いろいろな角度から見るでしょう? だったらすべての角度から見て、きれいに見えるメイクをしないとダメよね。正面から見た眉がちゃんとしていても、横から見た時におかしな形になっていたんじゃ会話に集中できないもの」と説明してくれました。なるほど、納得です。

撮影/大坪尚人

自分らしい美しさを大切にした母のメイク

母は韓国・済州島の出身でしたので、日ごろから島の特産品である椿油を愛用していました。ツゲや桜の木のクシに椿油を浸し、それで髪をとかすのです。そしてメイクの仕上げに、耳に椿油をちょっと塗る。だから母のまわりには、常に椿油のいい香りが漂っていました。

韓国では、20歳の成人式で髪を編んでチョゴリを着るのがならわし。そのため母からは、「それまでは髪を長く伸ばしていなさい。パーマも毛染めもピアスもダメよ」と言われていました。その言葉を守り続けていた私は、いまだにパーマもカラーリングもしたことがありません。

また当時は白っぽいファンデーションが流行っていて、そのせいで顔と首の色が合っていない人をよく見かけました。母は少しインドの血が入っていたため、肌の色はちょっぴり浅黒い。けれども白塗りで隠すことをせず、むしろそれを活かした健康的なメイクをしていました。自分を美しく、そして自分らしく見せる方法をよく知っていたのですね。

ユーモラスで穏やかだった父

一方、父はユーモラスで穏やかな人でした。私は父が怒ったり、声を荒げたりするのを見たことがありません。母とのエピソードは折に触れて披露している私ですが、これまで父の話はさほどしてきませんでした。なぜかと言いますと、父は少しでも割のいい賃金を得るために出稼ぎや住み込みの仕事を転々とし、あまり私たちと一緒に過ごせなかったからです。私が父とじっくり話すようになったのは、母が亡くなった後のことでした。

幼い頃から苦労続きだった父は、アニメ映画の『火垂るの墓』が苦手でした。妹の節子と自分の境遇が似ていて、当時を思いだして辛くなるからだそうです。テレビで映画を観た後は、一週間はふさぎ込んでいましたね。

そんな暮らしのなかで父の支えになったのは、やはり信仰でした。カソリックでは「清貧」を重視しますが、これは「多くを持たず、隣人に差し上げなさい」という意味。持たざる者だった父は、持つことを良しとしない教えに救われたのだと思います。

週末に通っていた教会では、奉納の時間というものがありました。募金箱が回ってくるので、信者は必ずいくらかのお金を入れなくてはいけません。貧乏な私たちとしては正直10円でも惜しいところですが、それでも親は「献金しなさい」とお金を渡してくる。1人10円だとしても、きょうだい5人で50円。親は頑張って100円を入れていましたから、月に換算すると1000円ほどになります。結構な出費だったはずですが、そこは譲れなかったのでしょう。

法事のたびに、両親の新たなエピソードが

「相手の目を見つめて、時々そらす」その言葉は相手への思いやりがあるからこそ出てくるもの。そんな風に母は優しい人でしたが、それは父が優しい人だったから。そもそも父が素晴らしい人だったから、母も大きな影響を受けたようです。後になって、母は天真爛漫なタイプで、父は人格者だったよ、という話をよく聞きました。

私が中学生の頃、自宅でがんの在宅治療を受けていた母が、布団の中でシクシク泣いているのを見たことがあります。もう病気が治らないことがわかっていた頃で、私は母が痛みで泣いているのかなと心配していたのですが、そうじゃなかった。母は「お父さんが家にいない」と、寂しさで泣いていたのです。

うちの父はとにかく人気者で、親せきやご近所さんに声を掛けられ、しょっちゅう手伝いに駆り出されていました。たとえば「囲碁が強いから」と囲碁の大会に呼ばれたり。母がいるのに「ごめんな、ちょっと行ってくるわ!」と、ひょいひょい出かけていく。それで母は「一緒にいたいのに……」と泣くわけです。すごくかわいい人でしたし、本当に仲のいい夫婦でした。

私が15歳の時に母が逝き、29歳の時には父を見送りました。母はまだ43歳という若さでした。それぞれ8月の5日と9月の5日に亡くなっているので、以降は毎年9月5日に両親の法事を行っています。

法事できょうだいが集まるたびに、「あの時こうだったよね~」と両親の思い出話が始まるのですが、不思議なことに毎回必ず、初めて知る事実が5人の口から出てくるのです。年齢が違うぶん、知っている側面や記憶が違うのですね。次は一体どんなエピソードが出てくるのか、今から楽しみです。

衣装協力/ADORE  abiste 
スタイリング/加藤万紀子  ヘアメイク/ K.Furumoto【&’s management】
構成・文/上田恵子