ところが、19年2月にベトナム・ハノイで行われた米朝首脳会談では、正恩氏は「寧辺核関連施設の放棄」だけにこだわり、「少なくとも寧辺+αの放棄が必要だ」という米側の主張とかみ合わなかった。
米政府は当時、事前協議を担当した崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官が正恩氏に正確な情報を伝えていないと判断した。北朝鮮のエリート層が正恩氏に、米側に譲歩しないよう圧力をかけていたという見方も出ている。
また、北朝鮮の国営メディアは2020年ごろから、金正恩氏が党の会議などに出席した際、「会議を司会した」という表現を使い始めた。
この表現は同年6月7日や8月13日の党政治局会議、7月2日の党政治局拡大会議などでも使われた。同年8月25日に開かれた党政治局拡大会議では、正恩氏が「会議を運営した」という表現を使った。今月も朝鮮中央通信は、6月4日に開かれた党政治局会議について「金正恩同志が会議を司会された」と説明した。
情報関係筋は「従来は、指導したという表現だった。絶対的な独裁ではなく、調整しているだけだ、と言いたいのではないか」と語る。韓国の国家情報院も昨年8月20日、国会情報委員会でのブリーフィングで「金正恩氏が経済や軍事などで委任統治を行っている」と説明していた。
北朝鮮エリート層の思惑?
脱北した元労働党幹部は、「金正恩には、父や祖父のように、どんな場合でも運命を共にするという同志がいない。いるとすれば、金与正(キム・ヨジョン)くらいだ」と説明する。
金日成主席の場合はソ連派や中国派などとの権力闘争、金正日総書記の場合は1990年代に起きた、100万人以上の餓死者が出たとされる「苦難の行軍」という、自らの権力が揺らぎかねない厳しい局面を経験した。こうした状況でも最高指導者としての地位を維持できたのは、損得を抜きに従ってくれる同志たちがいたからだ。