# 進撃の巨人

『進撃の巨人』は「時代の空気」をどう描いてきたか? その圧倒的な“現代性”の正体

根底にある政治思想
杉田 俊介 プロフィール

当初エレンは、壁の外へ出て、「敵」である巨人たちを駆逐しさえすれば、人類は本来の自由を取り戻せるはずだ、と考えていた。しかし物語が進むにつれ、調査兵団の仲間だったライナー、ベルトルト、アニらがスパイだったことが判明する。さらに自分たちの世界の外に、別の国家、別の人間たちが存在することが示唆されていく。そして21巻の時点で、物語の視点がマーレという別の国の側に大きく切り替わる。

物語が進むにつれ、壁の外の国家の人々も様々な「壁」(バリア)に囲われており、民族差別や陰謀論に深くとらわれている、という事実が分かってくる。『進撃の巨人』が描くのは、歴史の真偽や善悪の基準が決定不能になったポストトゥルース的政治の世界であり、そこでは誰一人として歴史修正/洗脳教育/陰謀論から自由ではありえない。この世界の歴史の真実とは何なのか。誰にもわからない。国家や宗教組織による民族レベルでの洗脳があったり、正史の隠蔽や偽造があったり、記憶の混濁があったり、複数の人格が混ざり合ったりしていることは、『進撃の巨人』ではデフォルトなのだ。

こうしたポストトゥルース的な世界の中で、若者たちはそれでも、よりマシな政治と国家体制を目指して、命懸けで戦い続ける。主人公のエレンは、ほかの誰よりもラディカルに「自由」の価値を信じている。『進撃の巨人』は、こうした形で、2010年代の殺伐とした政治的空気――ポストデモクラシー的な空気――をつかんでいたのである。

 

敵/味方の境界線が「明確になりすぎる」

ポストデモクラシー的な状況とは、近代的な民主主義の根幹である人民主権や平等な権利という原理すらも侵食され、たえまなく内部崩壊を起こしていく状況のことだ。そこではフェイクとアンフェアが政治の常態になり、非常事態(例外状況)の名のもとに強権が発動され、金融資本主義の強化、少数の特権層への富の集中、著しい不平等の拡大などが進行していく。

こうしたポストデモクラシーのもとでは、左派・右派の両側からのポピュリズムが生じやすくなる。ポスト・マルクス主義の代表的論客であるシャンタル・ムフは、それを「ポピュリスト・モーメント」と呼んだ(『左派ポピュリズム』、原著2016年)。

大ざっぱにいえば、2010年代を代表する政治的な戦略となったのは、ムフとエルネスト・ラクラウのいう「ラディカル・デモクラシー」である。ラディカル・デモクラシーとは、物事の価値基準(真偽や善悪)が不安定化(=偶発化)していく中で、政治的な敵/味方の間にあえて境界線をはっきりと引き、集団的な情動の力を結集させて、文脈に応じたヘゲモニーを獲得することによって、損壊した民主主義の根源的な力を回復する、という政治戦略のことである(詳細は山本圭『現代民主主義』中公新書を参照)。

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