義母が母を拒絶しなかった理由

わずか1年ほどの同居期間中、母の認知度は緩やかに落ちていった。夜中の騒音、トイレの後手を洗わない、使ったトイレットペーパーを床に捨てるなど、義母トミ子が眉をひそめるようなことは日常茶飯事だった。2つあるトイレのうち、義母が使うほうのトイレに、汚れたトイレットペーパーがうず高く積まれたときは、私が代わりに平身低頭で謝った。

本来の義母ならば許しがたい行為だったはずだが、彼女は母を拒絶しなかった。母が後に家を出て老人ホームに入ってからも、母については良いことしか言わなかった。義母のケアマネジャーが月1度訪問してくるときも、「容子さんのお母さんは、そりゃあもういい人で」とべた褒めするのだった。それを聞いて悪い気持ちはしなかったが、そこまで褒める理由がわからない。正直言って、戸惑う気持ちのほうが強かった。

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昨年、義母の荷物を整理していたとき、分厚い紙袋が出てきた。中を見ると、友人知人からの手紙の束である。一つずつ確認していくと、ひとつかみ分の手紙の束があった。母から義母に充てたものだった。日付は、私が結婚してから数年にわたっている。

目を疑った。時候の挨拶から始まる手紙は、大半が私と最近交わした会話や、私という人物の説明、長所で埋め尽くされていた。娘が生まれてからは、遊びに行ったときの様子、どんな遊びが好きか、どんなところが優れているか、柔らかな文章でしたためられていた。
手紙は、何度も開いては折りたたまれたのか、折り目が擦れている。文字を読むのが苦手な義母が、どうやら繰り返し読んだらしい。

私の両親は、義母のクセのある性質に気づいていた。だから、私の気づかぬところで援護射撃していたのだろう。そして義母は、おそらくそのような母の懸命な愛情に気づいていたのだ。もしかするとそれが、どんなに迷惑をかけられても母を拒まなかった本当の理由かもしれない。

実母が義母に充ててたくさん送っていた手紙の束。認知症になっても、その時の記憶が残っていたのか――Photo by iStock

【次回は6月22日公開予定です】

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