「Wケア」とは、子育てと介護を同時に行うことを言う。しかしその介護の人数が1人でない場合も少なくない。

義母と実母とふたりの認知症に加え、子どものいない独身の伯母の認知症にも悩んでいたのが、フリーライターの上松容子さんだ。しかも義母は被害者意識が高く、実の息子にも優しくすることができない不思議な存在だった。その謎の行動にも上松さんは悩まされていたのだ。

連載「謎義母と私」、前回は義母の謎の行動の理由が発達障害ではないかと医師に指摘されるまでをお届けした。今回は認知症を患ったあと、義母から同居拒否されていた上松さんの実母が怪我をしたため、義母の了承がおりて実母も同居が始まった時のことをお伝えする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
実母登志子 昭和ヒト桁生まれ 元編集者を経て専業主婦。認知症で要介護2
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦
上松容子さん連載「謎義母と私」今までの記事はこちら
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「ゴミ屋敷」から母が来た!

義母の言動に振り回されていたころ、その裏で私は実母・登志子と伯母・恵子ふたりの問題に頭を悩ませていた。父が肝臓がんで急死したあと母は脳血管性認知症になり、母を預けた伯母も、認知症になっていたのだった(詳しくは以前FRaUwebにて連載していた「介護とゴミ屋敷」に記している)。
ゴミ屋敷と化した実家から動かない母と伯母に、ヤキモキさせられること数年。伯母が腰椎圧迫骨折で入院するに至ってようやくゴミ屋敷暮らしが終了し、母を家に呼び寄せることとなった。

上松さんの実母の実家に独身の伯母が住んでおり、そこに夫亡きあとの実母が住むことになったのだが、実は荒れ放題のゴミ屋敷だった…(写真はイメージです) Photo by iStock

そこで困ったのが、母の居場所である。一軒家の二世帯住宅とはいえ、たいして大きくもない我が家である。1階は義母のスペース、2階は3人家族。広さからいったら1階に住まわせるのが妥当だ。しかし、極端な潔癖症である義母とゴミ屋敷から出てきたばかりの母を、同じスペースで生活させることには、どう考えても無理があった。

母は、2階で私たちと同居することになった。

母は骨粗鬆症にもなっており、膝が変形して痛みもあった。体が弱っている人間にとって、階段は上がるより降りるほうがつらい。だから2階にいれば、母はあまり降りてこないだろう。降りてこなければ、義母と接することも少ないだろう、と私たちは高をくくっていた。1階にある風呂には、見守りながら連れていけばいい。

母が家に来た初日、トラブルは階段ではなく風呂場で起きた。ゴミ屋敷で風呂にも入らなかった母は垢まみれだった。その体のままで浴槽に入ったので、一番風呂が垢だらけになってしまったのだった。その後、「不潔問題」はたびたび起き、私は母と義母の間で火消しに奔走することになる。
(こちらは連載「介護とゴミ屋敷」9回目に詳細を記している)