失敗を経験するからこそ「やり直し」できる

そんな繊細さはスポーツのみならず、勉強や人間関係の構築にだって必要だ。そこを考えたとき、「レジリエンス」という言葉が浮かんでくる。

「逆境を乗り越える力」とか「ピンチに対応する力」などと訳される、このレジリエンス。ポストコロナの時代、AIの出現や経済不安など先行き不透明な今の時代だからこそ、子どもに養ってほしい能力だろう。

だからといって、「困難に打ち勝つのよ」とか「艱難汝を玉にす」などと言い聞かせたところで、身につくものではない。レジリエンスは、幼少期から失敗しては立ちあがるという「七転び八起き」の積み重ねで育まれる

例えば、夏休みに持ち帰った朝顔に水やりを忘れてしまい、枯らせてしまった。友達との約束をすっぽかして怒らせてしまった。そういった小さな「やらかし」は、大人がうまく子どもの手を離しさえすれば無数に経験できる。
その際に重要なのが、上述した「繊細さ」だ。枯れた朝顔を見て悲しくなって自分を責めたり、自分を待っている時間の友達の気持ちを考えることで自省する。やらかしを「次は気を付けよう」と自分で決めて、何かの植物、例えばきゅうりの苗を植えて自分で育てられた。そんな成功というかリベンジ体験によって、「やり直せる自分」を実感できる。繊細だから成長できるとも言えるのだ。

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この自信は成人しても地続きだろう。仕事をする大人の多くはピンチに陥っても「これまでも何とかなったから、今回もきっと何とかできる」などと考えている。こういった「何とかなる」と思える自信は、漢字テストで100点を取ったとか、絵のコンクールでいつも入選したなどの知識や技能によって得られる「成果による自信」とは少し異なる。それまでの経験によって身についた「自分はきっとこの困難から立ち直れる」と思える自信、それこそがレジリエンスに違いない。

そして、このレジリエンスを身につけるための最大の難敵は「親の過干渉」だろう。わが子を心配するあまり、困らないように、うまくいくように、手助けし、おぜん立てする。転ばぬ先の杖がわが子の足腰をどんどん弱めてしまうことに、私たち親は時として気づかない。私自身、世話を焼き過ぎた、失敗だったと思うことは大量にある。気づいては修正し、耳や目から血を流す、という具合だった。

様々な選択肢を、子どもに聞かれてアドバイスをするではなく、先回りしてすべて親が決めてしまったら、失敗しないように導いてしまったら、失敗経験を奪うことにもなってしまう Photo by iStock