「能力主義」は悪なのか? サンデルの考えを「日本に輸入する」ときの注意点

日米の違いを考慮したほうがいい
ベンジャミン・クリッツァー プロフィール

さらに、最近では「文化資本」の概念が人口に膾炙しており、富裕層や教養のある家庭に生まれた人はそうでない人に比べて大学受験でもその後のキャリアでも有利になりやすいという事情を、多くの人が認識するようになっている。つまり、「現在の社会で行われている競争は、平等な条件ではなく、生まれた家や育った環境などによってスタートの時点で差がついている不平等な条件のもと行われている」という見方は、いまでは一般的なものになっているのだ。

『実力も運のうち』の冒頭でも裏口入学やレガシー入学の問題が取り上げられており、サンデルも「不平等な競争」を批判している。だが、この本の主たる論点は、「能力主義が前提としている"平等な競争"を実現することは不可能であるから、能力主義は間違っている」ということではない。むしろ、「仮に条件の差を排除して"平等な競争"を実現することが可能であるとしても、それでも能力主義は間違っている」という主張が、サンデルの議論の中核になっているのである。

 

能力主義、否定されるべき二つの理由

サンデルは、平等な競争に基づくものであっても能力主義は否定しなければならない理由を二つ挙げている。

一つめは、「能力主義は才能の道徳的恣意性を無視している」という点だ。能力主義の理想とは、生まれた家や育った環境などの条件の差を排除して、すべての人が競争の場において自分の才能を活かせることである。しかし、わたしたちは自分がどんな家に生まれてどんな環境で育つかを選ぶことはできないのと同様に、自分がどんな才能を持って生まれてくるかを選ぶこともできない。

受験戦争に勝ち抜いて難関大学に入れるだけの頭脳を持って生まれることやスポーツで活躍してオリンピックに出場できるほどの肉体を持って生まれることは、資産家の家に生まれることや文化資本にあふれた環境で育つことと同じように偶然に左右される恣意的なものである。

生まれる家や育つ環境などの差を排除した完全な能力主義であっても、才能の差を排除することはできない。この問題に対処するために能力主義者たちは「競争で勝てるかどうかは才能だけでなく努力も関わってくる」と主張するが、才能の差は努力では乗り越えられないことが多い、とサンデルは反論する。

関連記事

おすすめの記事