迫るマグマ…35年前の火山噴火、被災した少年がいま記者になって“伝えたいこと”

NHK取材ノート編集部 プロフィール

「危険」、でもふるさとへ帰りたい…

4時間あまりでたどり着いたのは東京・港区のスポーツセンター。東京での避難生活はここで始まった。2000人余りの住民による雑魚寝生活。足の踏み場もないほどだ。床に毛布、隣の人とはいつもふれ合う距離。大人が着替えをする場所もない。

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今のように避難所の環境を整えようという考え方も少ない時代。体調を崩すお年寄りで、建物の前には毎朝のように救急車が列をなしていました。

都内の小学校への編入も始まった。慣れない都会。大島ではすぐそばにあった、きれいな海も山も自然もない。友達もできたが勉強の進みも遊び方も違う。体調も崩し、学校に行くのが嫌で仕方がなくなり、不登校気味になった。

そんな時だった。

「金森さんはいらっしゃいますか?」

避難所生活が始まってしばらくすると、私たち家族を探す声が聞こえた。母が「私たちですが…」と対応する。噴火直後から連絡が通じない状態だった父の同僚記者だった。

「金森さん、大島で元気にやっていますよ。みなさんによろしくと」

父は、いまも現場で動き回って大活躍しているのだとか。歓声を上げて姉と抱き合う。険しくなっていた母の顔も少しほころんだ気がした。父の書いた手紙には「俺も頑張るから、大輔も辛抱してくれな」と書かれていた。

 

小学生で向き合ったふるさとの噴火と島外避難。強くありたいという思いと裏腹に、伊豆大島に戻りたいという思いも募る。また辛い思いをするかも知れないのに、住み慣れたふるさとに帰りたい。ふるさとの山と海、におい、風、音、すべてが恋しくなった。

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今でも被災者が元の場所に戻ろうとする状況を目にするが、私は不思議だとは思わない。

幸いにも、火山活動は落ち着きはじめた。噴火から約1ヶ月後の12月22日、「全面帰島」が決定。住民はみな歓喜した。

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