飛込元日本代表で、水泳の瀬戸大也選手の妻でもある馬淵優佳さんが、アスリートたちにスポーツから学んだことを率直に聞いていく連載「スポーツが教えてくれたこと」。今回は、2012年のロンドン五輪に体操で出場した、日本を代表する体操選手のひとりの田中理恵さんにお話を伺った。

田中さんは兄と弟3きょうだい全員がロンドン五輪に出場した体操一家。公私すべてが体操に染まりがちな中、のびのびと競技をしてきた理由は、田中一家の「ルール」にあったことを前編「3きょうだい全員五輪出場…体操・田中理恵を育てた「田中家のルール」」でお伝えした。

後編では、高校時代の大きなスランプに陥った田中さんが、体操の世界では遅咲きと言われる20代での五輪出場でもあった背景を優佳さんがお伝えする。

ロンドン五輪体操競技に日本代表で出場した田中理恵さん Photo by Getty Images
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怪我と思春期の身体の変化が重なり…

小学1年生のときから競技をはじめ、中学のときに全国大会に出場、順調に体操選手としてのキャリアを積んでいるかと思われた田中理恵さん。しかし、2004年のアテネオリンピックを目指していた中学3年生の時に怪我をし、目標には届かなかった。そこから、理恵さんの競技人生に暗雲がたち込める。

「中学3年生の時は身長140センチで体重が30キロ台、まさに体操選手って身体だったんです。でも足首を怪我してしまって。練習できなくなると身長がぐんと伸びて、横にも大きくなって、生理もきて、胸も出てきた。私が持つ体操選手のイメージは身長が低くてガリガリが一番いいと思っていたので、自分の身体の変化を受け入れることができなくて。ショックすぎてレオタードを着ることもできなくて、反抗期も重なり、高校時代を不真面目に過ごしてたんです。その時、一回親には辞めたい言ったことがあります」

体操教室を開いているご両親。才能がある娘がやめたいといっても、きっと止めたはず。そう思ったのだが、予想外の答えが返ってきた。

不安があったらやめてもいいよ、明日から行かなくていいよって言われたんです。それで初めて友達と通学路一緒に帰って。途中でコンビニでなにか食べたり、プリクラ撮ったり、憧れてた普通の生活をいっぱいしたんです。ほら、競技生活をしていると、放課後ってなくないですか? 

ただ、そんな楽しい日々を1ヵ月半くらい過ごしている横で、きょうだいは頑張って毎日の練習やっているじゃないですか。楽しいんですよ、毎日楽しいんだけど、みんな頑張っているのに私なにやってるんだろうって思って。だから『やっぱり体操をやりたい』と親に伝えました」