44年前、球界を騒がせた“籠城事件”
1977年秋、城ならぬ自宅マンションに立て籠ったのは、2020年2月に他界した元ヤクルト監督の野村克也である。当時は南海のプレーイングマネジャーだった。大阪府豊中市内のマンション名を取り“刀根山籠城事件”と呼ばれている。有名監督の“籠城”が、一般メディアまで巻き込んで大騒動となったのは、今から44年前のことである。

事の発端は野村に対する突然の解任通告である。まだ試合を2つ残していた。野村と沙知代夫人は、いわゆる愛人関係にあり、球団から「公私混同」と見なされたのだ。球団いわく「監督という立場を利用して自分の愛人を球場や監督室に出入れさせ、選手起用などにも口を出させていた」。
生前、その話を野村に振ると「全く事実無根」とのことだった。自らを追い落とそうとする勢力が、「サッチーをネタに仕掛けてきた」というのである。実際、チームの成績は悪くない。73年にはリーグ優勝を果たし、77年も前期2位、後期3位とまずまずの結果を残している。
解任前、野村は自らの後援会長を務めていた比叡山の高僧から呼び出された。
「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい!」
「女を取ります」
「野球ができなくなってもいいんだな」
「仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は世界にひとりしかいませんから」
これ以降、野村は球団との連絡を断ち、マンションに立て籠もるのである。
後年、野村に聞くと、サッチーの怒りはすさまじく、「この××ボウズ!」と罵ってしまったという。「ワシが止めるのが大変やった」と苦笑を浮かべていた。