『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する

「オープンワールド化」する作品たち
稲田 豊史 プロフィール

つまり、説明セリフを求める傾向は、観客の民度や偏差値の問題というよりは、習慣の問題なのだ。情報過多・説明過多・無駄のないテンポの映像コンテンツばかりを浴び続ければ、どんな人間でも「それが普通」だと思うようになる。その状態で、いざ長回しの意味深なワンカット映像や、セリフなしの沈黙芝居から何かを汲み取れと言われても、戸惑うしかない。

結果、出てくる感想は「わかんなかった(だから、つまらない)」「飽きる(だから、観る価値がない)」だ。

積み重ねられた習慣こそが、人の教養やリテラシーを育む。抽象絵画を一度も見たことない人間が、モンドリアンの絵をいきなり見せられても、どう解釈していいかわからない。

無論、抽象絵画など鑑賞しなくても人間は生きていける。同じように、セリフのないシーンに意味を見出すことができなくても、人間は生きていける。善悪ではない。ただただ、そういうことだ。

 

「わかりやすさ」と「作品的野心」の両立が求められる

時代的に、“背伸び”って言葉がそぐわなくなってきたのかもしれないね。わからないものを無理して観て、なんとか理解しようと努力する、みたいな気運が」と言うのは、アニメーション映画『この世界の片隅に』(16)などのプロデュース会社・ジェンコの真木太郎社長だ。

“無理は良くない”“自分の限界以上に頑張るのは悪”。なにやら、ブラック企業に対する強烈な嫌悪感をも連想させる。それもまた、時代の空気か。

「でも、そういう人たちを責める気はないよ。観客がどう観ようが、観客の勝手だもの。観客には“誤読の自由”がある。だったら、早送りだろうが、10秒飛ばしだろうが、観る速度の自由があってもいい。もちろん、僕はそんなふうに観られる前提で作品を作ってはいないし、自分がプロデュースした作品を目の前で早送りされたら、“ふざけんな”って思うけど(笑)」(真木氏)

それは、諦めなのか。

「違うね。早送らない人に向けて、これからも作るだけ。ひとつ綺麗事を言うなら、早送りして観た人が、いつかその作品を普通の速度で観ることがあって、ああ、こんないい作品だったんだって気づく、みたいな美談は、正直期待したいよね」(真木氏)

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