2021.06.20

日本とアメリカとヨーロッパ、じつは「正義」の“意味”がここまで違っていた…!

「法律に従うのが正しい」んです
橋爪 大三郎 プロフィール

近代社会の「根底」にあるもの

キリスト教徒は、最後の審判を信じる。イエス・キリストがやがて天から降りてきて、一人ひとり、人間を裁く。最後の審判だ。こうして、神の正義が実現する。

キリスト教には宗教法がない。イエスが現れ、旧約聖書は効力停止になった。地上では人間が人間を裁いている。これは本当の裁判ではない。最後の審判が本当の裁判。裁く側だった国王も裁かれるのだ。

キリスト教のもと、国王は、まじめに裁判しようと思うようになった。英国のコモン・ローは、各地の裁判が間違っていないか、国王がチェックして歩いたのが元だ。やがて法律の専門家が現れた。ヘンリー八世が離婚しようとした。国王、それはできません。反論をのべた大法官のトマス・モアは首をちょん切られた。権力に逆らっても、命懸けで法を貫く。英米法の理想である。

 

神は正しい。人間は正しくない。もともと罪を背負っている。

人間は、最後の審判で赦され救われる価値があるだろうか。価値はない。

価値のない人間を、イエス・キリストは愛した。イエス・キリストをこの世に送った神も、人間を愛しているということだ。そう信じ、愛に生きるのがキリスト教徒のつとめである。

神は人間一人ひとりに、自然権を与えた。愛のしるしである。生きる権利、幸せを追求する権利、…などなど。神が与えた権利を、人間が奪ってはならない。国王もである。

国王が横暴で、人びとの権利を尊重しない場合、人びとは契約を結んで、国王抜きの政府をつくってよい。契約が憲法、国王抜きの政府は共和国だ。

こう考えるキリスト教徒は、「神聖な、でも世俗の法律」を立法できる。イスラム教徒にも、ヒンドゥー教徒や儒教徒にも、ない考え方だ。

自由に法律をつくってよい。法律を守るのが、正義である。これがキリスト教徒の、つまり近代社会の、根底にある確信である。

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