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神道から倫理を読み取るのは可能か?

DIG 現代新書クラシックス(4)
群像×現代新書のコラボ企画「DIG 現代新書クラシックス」の第4弾(『群像』4月号掲載)は、九州大学准教授の島田英明氏による、菅野覚明『神道の逆襲』(2001年刊)の解説です。
サントリー学芸賞の選評では、「おもしろすぎる」のが「唯一の欠点」と評されたという本書。神道の思想から「倫理」的な問題を引きだそうとするその挑戦に、「危険」はないのでしょうか? 気鋭の日本思想史研究者が論じます。

「神さま」と「お客さま」

次のような場面を想像(もしくは想起)してほしい。

遊び疲れた子供が足早にかけより、勢いよく玄関のとびらを開ける。帰宅を告げる叫びにも似た声がいつもの空間に響くのだが、どうも様子がおかしい。子供がいぶかしげな表情を浮かべていると、奥から親がひょいと顔を出し、耳慣れない声音でこう告げるのだ。「今、お客さんが来ているの」。

新書サイズで魅力的な神道思想史を描きあげた菅野覚明は、ここに、日本における「神さま」との出会いの「根っこ」があるという。

その一言で子ども心は、奥深い何かを即座に了解したのではなかろうか。子どもが感知した、家の中に漂う言うにいわれぬこの雰囲気にこそ、神さまの経験の根っこがある。子ども心が感知したように、神さまとは第一義的に、見慣れた日常の風景の変容・反転として経験される。見慣れた景色の反転としてあらわれているもの、あるいはその反転をもたらしたと思われるところのものこそが、神なのである。(21~22頁)

例話の卑近さに比べていいまわしが難しいが、「反転」や「経験」といった強度のあることばをうまく操るのがこの著者の魅力である。いずれにせよ、意味するところはわかりやすい。

菅野は「お客さまは神さまです」という演歌歌手の有名なフレーズを逆さまにして、「神さま」とは「お客さま」なのだという。それは不意にわたしたちの日常生活の外部からやってきて、福徳や災いをもたらし、場の雰囲気を変えてしまう(「たたり」)。人間にできるのは精一杯おもてなしすることだけ(「祭祀」)。そんな期待と緊張と迷惑とがないまぜになったなかにこそ、神と出会う時間がある。

なるほどなあと得心するのだが、著者の狙いは日本の神観念をわかりやすく説くところにない。本書がこだわるのは、むしろこうした「経験」のもつ倫理的な含意である。人は普段の日常が突如として姿を変えたとき、いつもはあたり前のものとして享受していた「何気なく送っている生」を、あらためて意識の俎上にのせる。景色の「反転」は、「世界のありようや生の内実を反省する倫理的思索」(28頁)の契機を伴うのだ。

かくして本書では、中近世の代表的な神道家の学説に焦点をあてて、それぞれの「経験」とそこから生まれた「反省」の歩みとが、多彩な史料の読解を通して叙述される。神と出会う儀礼の場での心のありようを言語化した中世神道(第2~5章)、その緊迫感を日常の道徳生活にまで持ちこもうと企図した儒家神道(第6~7章)、そして大切な者の死という経験から生の意味と神について模索した近世国学(第8~10章)。ちなみに著者は本作によって2001年度のサントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞。「おもしろすぎる」ところが「唯一の欠点」だというのが、その折の選評のことばであった。

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