2021.06.04
# 中国

天安門事件から32年…あの時、中国の民主化運動が「失敗」に終わった4つの理由

実は別の国の民主化に貢献していた?
今からちょうど32年前の1989年6月4日、北京の天安門広場をはじめ中国各地で、数百万人の若者が民主化を求めて声を上げた。世に言う「天安門事件」、中国では「八九六四」と呼ばれる出来事だ。しかし国内各所に波及した運動はことごとく弾圧され、中国では今日まで共産党による一党独裁が続いている。
はたして、天安門事件はなぜ失敗したのだろうか? 大宅壮一ノンフィクション賞&城山三郎賞を受賞した『八九六四 完全版』から、当時の学生リーダーへのインタビューを含む論考を紹介しよう。

天安門の運動とヒマワリ学運

王丹とウアルカイシは台湾に来てから、往年の彼らの運命を狂わせた事件とそっくりな出来事と思わぬ縁を結んでいる。奇しくも、六四天安門事件からちょうど25年目にあたる春のことである。

――ヒマワリ学運

2014年3月に台北で発生した学生運動だ。当時、総統の馬英九が中国と結ぼうとしていた中台サービス貿易協定に反対する学生運動グループが立法院(台湾の国会に相当)の建物を占拠し、やがて50万人規模のデモを組織して政府当局と交渉。

ついには世論の後押しも受けてサービス貿易協定を実質的に棚上げさせ、奇跡的な無血勝利を挙げた事件である(当時、私も現地で取材しながら彼らに魅了された。拙著『境界の民』(KADOKAWA、2015年。のち、『移民 棄民 遺民』、角川文庫、2019年)に詳しい)。

ヒマワリ学運の2人の学生リーダーは、林飛帆と陳為廷といった。

ヒマワリ学連の学生リーダーだった林飛帆[Photo by gettyimages]
 

林飛帆は沈毅な理論家タイプで、陳為廷はよく口が回るヤンチャな革命家タイプだ。それぞれキャラクターの類型としては、1989年当時の王丹とウアルカイシになんとなく似ており、台湾メディアにもそれを指摘する声があった。

(余談ながら、陳為廷は運動後に過去の性犯罪がバレるなどしてミソが付き、現在は活動家としての精彩を欠いているが、ヒマワリ学運当時の彼はまぎれもなく英雄然としていた。人懐っこくて豪快な性格と引き換えに欲望の自制に難がある点や、ひとつの組織に長く腰を落ち着けて活動することが苦手な点も、天安門事件後に民陣の副主席を放り出してスキャンダルの嵐のなかで沈没したウアルカイシとよく似ている)

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