河合雅雄さんがカメルーンの森の奥でだけ見せた「意外な素顔」

日本での厳格な姿とは真逆だった
三谷 雅純 プロフィール

今西錦司の二人の弟子

この矛盾した思いと「やせ我慢」とが、他人に弱みを見せられない張り詰めた緊張につながりました。

河合さんはある意味、人に冷たい印象を与える人でした。しかし、屈強であることが尊ばれる戦争という日常に、障害者が障害者であることを、隠さないまでも、大っぴらにはそうといわずに(しかし、すぐに障害者だとわかるままに)生きていくには、冷たく見えることも必然であったのではないでしょうか。

河合さんには、伊谷純一郎さんという同僚がいました。河合さんと伊谷さんは、ともに今西錦司さんの弟子です。

健脚で、どんなところにでも足を運ぶ伊谷さんは、河合さんとは違い、健康に自信を持っておられました。わたしは、学部時代は伊谷さんに教えを受けましたが、当時の伊谷さんは有能なフィールド・ワーカーであり、また「森林に住むニホンザルの群れの空間構造」という、森に隠れて肉眼ではけっして見えない、それでもそこにあるに違いない抽象的な概念で自然界を把握するといった、ドキドキするほどの才能をお持ちでした。

とても伊谷さんのようなまねはできないと悟ったわたしは、大学院を選ぶとき、霊長類学とともに動物生態学の研究を標榜しておられた河合さんのお世話になろうと決心しました。

当時の生態学は、人類学のようなきらめく直感で真実を探るというスタイルではなく、測って測って測りぬけば、確実に事実にたどり着ける、ある意味で泥臭さの残る学問であるように、若き日のわたしには思えました(実際の生態学は、きわめて洗練されたシャープな感性が求められる学問であったことを付け加えておきます)。

この伊谷さんと河合さんの違いが、河合さんにはコンプレックスになったのかもしれません。今になって思い返せば、それは才能の質の違いにすぎなかったのですが、しかし、河合さんの肩書きにある「動物生態学」とは、河合さんの複雑な思いの裏返しだったような気がします。

自説の誤りを認めて

大学行政においては有能さを発揮した河合さんですが、学問的には、どこか自分の主張に固執するようなところがありました。

もちろん、宮崎県の幸島(こうじま)でその意味を見抜いたニホンザルの「イモ洗い行動」と、その行動の他のサルへの伝わり方──リチャード・ドーキンスが使った「ミーム」の概念に似ています──など、今では有名になった、すぐれた成果を残しました。

幸島のニホンザル宮崎県の幸島のニホンザル Photo by Kodansha Photo Archives

しかし、サルの社会はオスのリーダーが統率するという「リーダー論」は勇み足でした。それは、幸島のような餌付けザルにだけいえることだったのです。わたしが鹿児島県の屋久島で野生のニホンザルを見ていると、オスのリーダーではなく、年老いたメスの母家長が集団の中心になっていました。

のちに河合さん自身が、「あのリーダー論は勇み足だった」と、わたしと二人だけになったときに漏らされたことがあります。

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