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〈あなたを完コピします〉高精度予測AIに、サイエンティストが追われるとき

ショートショートで学ぶ機械学習【1】

近年、著しい進歩を続ける機械学習。センター入試の英語の試験では機械学習を使うことで、200満点中185点をとることに成功し、将棋や囲碁ではもはや人間が太刀打ちできないレベルの能力を獲得。画像処理にいたっては、フェイク画像はもちろんのこと、オリジナルのキャラクターを造形できるところまで到達している。

今後のビジネスや科学研究を続けていくうえでもはや無視できない存在になりつつある「機械学習」だが、言葉ばかりが先走りして、その本質を理解している人はごくわずかだ。「機械学習」とはいかなるものか、社会にどのような変化をもたらすのか。機械学習の専門家であり、科学出版賞受賞した書き手として知られる田口善弘氏が、ショートショートで「機械学習」がもたらす未来世界を描く。

あなたの才能、完コピします

トムは、ドアをノックする前に大きく深呼吸した。おちつけ、と自分に言い聞かせる。このインタビューが、自分の将来を決める重要なイベントだということは嫌というほど解っている。ピカピカに磨き上げられたドアに映った自分の姿をみて、ちょっと髪形を直す。ボスが、見た目で評価を変えるような人間じゃないことはよくわかっている。でも、それでもみてくれが悪い方がいいわけはない。もう一回、深呼吸をしてからドアをノックする。

「どうぞ」

いつ聞いてもほれぼれするアルトの声でボスが答える声が聞こえる。入社して10年、ボスの見てくれはまったく変わらない。いい加減、腹くらい出てきてもいい年なんだけど。ゆっくりと扉を開けて中に入ると、机の向こうに、落ち着いた風情の中年女性の笑顔が見えた。スカートも履いていないし、化粧もしていないのに、なぜか絶対に男性的な雰囲気を漂わせないというこのボスのファッションセンスにはいつも感心させられる。ボスはゆっくりと自分の目の前の椅子を指した。トムは無言のまま、座った。

「じゃあ、さっそく、成果を見せてくれる?」

目が全く笑っていない満面の笑顔でボスが促す。トムはごくりと唾をのみ込んでから、成果物が入ったUSBメモリーを差し出した。このご時世に、メモリースティックにソースコードを入れて持ってくるなんて馬鹿げているが、ボスがそうしろ、と言ったのだから仕方ない。

ボスはトムが渡したUSBメモリーをゆっくりと受け取ると自分のノートパソコンに差し込み、トムが作ったコードを実行した。結果は数秒で出るはずだ。

トムが作る様に指示されたのは、新入社員の採用プログラム。エントリーシートや経歴の情報から優秀な社員を選別する。数年間の採用データが渡された。誰が採用されて優秀な成績を納めたのかは知らされている。そして、ボスのノートパソコンにはトムには渡されなかった残りの半分の新入社員採用データが入っている。その中から優秀な社員と評価された人間とそれ以外の人間を、採用時のデータだけから推定する。

トムは残りの半分のデータは見てもいないから、それは無理芸に見える。だが、それは原理的には可能なことなのだ。トムの様に機械学習を駆使できる、腕利きのデータサイエンティストにとっては。

【イラスト】ボスの様子をうかがうgettyimages

計算が終わり、ボスがにっこり微笑んで、くるりとノートパソコンの画面をトムに見せた。そこには98%という数字が浮かび上がっている。トムのプログラムは新入社員候補生のうち、優秀な社員になった者とそれ以外をなんと98%の精度で正しく予想してのけたのだ。トムは心の中でガッツポーズをした。2%。たった2%の社員を見逃しただけだ。

ボスにデータを渡されて3日間、自分が知っているありとあらゆる機械学習モデルを試した。もらったデータの半分を隠し、残りの半分を知らないことにして予測することで機械学習する、俗に「交差検定」と呼ばれるテストでは95%の精度までだしたのだ。むろん、こんなやり方ではもらったデータに特化しすぎて本番のデータでは惨憺たる結果になる場合もある。98%と多めになったのは揺らぎの範囲だが運がよかったとしか言いようがない。だが、これで昇進はまちがいない。心の中で歓喜に咽び泣くトムの耳に再び魅力的なアルトの声が響いた。

「ところで、トム、このプログラム作るのにどれくらいかかった?」

なんでそんなことを訊くのか、とトムはいぶかった。だが、短めに言っておこう。あまり短めにいうと今後の業務割り当てがそのレベルを基準にして来てしまって泣くことになるかもしれないが、その時はその時。本当は丸三日寝ずに作ったのだけど。

「ええと、実働24時間です」

サバを読みすぎだったが、もう清水の舞台を飛び降りる覚悟。後は野となれ山となれ。

「そう優秀ね。トム、残念だわ」

優秀?、ありがとう、でもなぜ、ボスは「残念だ」というのだろうか?

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