日本リスクコントロール社長 寺尾文孝氏

ヤクザのカネを運用した相場師の末路

闇の盾(5)政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男
年会費2000万円。日本最強・最高の危機管理会社、日本リスクコントロール。著名政治家、一流企業経営者、「芸能界のドン」、暴力団組長までが頼りにする知られざる「駆け込み寺」だ。依頼を受けるのは紹介者からの紹介があったときのみ、電話番号も公開せず、ホームページすらない。
同社の寺尾文孝社長は警視庁元機動隊員で、秦野章元警視総監の秘書を経て日本ドリーム観光の副社長を務め、許永中、伊藤寿永光、高橋治則、後藤忠政、中江滋樹らバブル紳士と対峙した。1999年に日本リスクコントロールを立ち上げ、政財界の「盾」として闇から闇に数多くの依頼を処理してきた。政治家・経済人・芸能人たちの「墓場まで持っていく秘密」。その一端を明かす驚愕の手記『闇の盾』の一部を紹介する。

「兜町の風雲児」中江滋樹

中江滋樹は、1978年に投資ジャーナルを設立し「兜町の風雲児」とも言われた。

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6年後、証券取引法違反(無免許営業)に問われ海外逃亡、アイチの森下安道の助けを借りてフランスの古城などに潜伏した末、1985年6月に日本国内で逮捕される。公判で実刑6年の有罪判決を受けて下獄、仮釈放で娑婆に戻ってきたのは1992年10月である。

中江が私に語ったところによると、このとき出迎えたのは現在パソナグループを率いる南部靖之代表だった。南部社長は、出所の祝い金として3億円を用意してくれたそうだ。南部社長はパソナ創業前に中江の下で事業家としての修業をしていた時期があり、それを恩義に感じていたようだ。兜町の風雲児と称されていたものの、実際のところ中江は株式投資については天才でもなんでもなくむしろ下手なほうだったように思う。それで南部は「少し練習しろよ」ということで大金を用意してくれたらしい。

こうして中江は、再び仕手筋として株式市場に舞い戻った。名古屋でアミューズメント業を展開するキョクイチや、同じく鉄鋼メーカーの矢作製鉄、農機具メーカーのコムソン社などが当時、中江の手掛ける代表的な銘柄だった。

私と中江の接点ができたのはこのころである。

どういう話の流れだったか、中江から息子の面倒を見るよう頼まれたこともある。中江の息子はそのとき中学生になるかならないかの年齢で、誰との間の子どもかは知らない。投資ジャーナル事件当時に愛人と噂された歌手の倉田まり子との子どもでないことだけは確からしい。

中江によると、「社長、倉田と私は男女の関係はまったくないんですよ。付き合っていたというのもまったくない。週刊誌に書かれて、本当にかわいそうなことをした」のだという。

しかし倉田は自宅の購入資金の出所をしつこくメディアに訊ねられ、中江の愛人という噂が広まったため、芸能界引退を余儀なくされてしまった。

 

中江の事務所では、様々な人物がカネを借りに来ているのを見た。ロス疑惑で知られた三浦和義の妻・良枝が200万円を借りに来たときは、たまたま居合わせた私がその立会人となった。中江の債務者には珍しく、良枝はその後きちんとカネを返したと聞いている。

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