信州大学特任教授であり、法学博士・ニューヨーク州弁護士である山口真由さん。いわゆる"高学歴女性”として取り上げられることも多く、男性社会のなかで活躍する山口さんだからこそ感じる、日々の「なんでなの?」を連載で綴っていただいています。

今回は新型コロナワクチンの承認から考察する、「ゼロリスク」を重視する日本社会について。実はハイリスクに晒されている状況を憂いながらも、そんな中で山口さんが見出した、小さな希望があると言います。

責任を取りたくない

私たちは「不思議の国」に暮らしている。

この国のリーダーにとって、状況を変えるという決断は極めてリスクが高い。逆に状況を変えないという決断は極端にリスクが低いのだ。

ゼロリスクであることを確認するまで方向転換はできない。そこにわずかでも失敗のモトがあり、方向転換した後にそれが顕在化した場合、決断をした人は全ての責任を負う。逆に、状況を変えないことによる失敗は誰も責任を取らなくていい。たとえていうなら、大勢の乗客を乗せたバスがずるずると崖を滑り落ちていく場面。目をつぶって流れに任せて、全員を道連れに転落していく分には、運転手に責任が生じない。だが、そこで急ブレーキをかけて、もし乗客の1人でも転んで怪我をしたら全責任を背負うことになる。それが、私たちが暮らす社会の仕組みになっている。

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緊急事態宣言とゼロリスク

コロナ禍に入ってからの1年間、ワイドショーは、毎日、政権を批判してきた。「オリンピックは中止の決断をすべきだ」、「早く緊急事態宣言を出すべきだ」、「とにかく対応が後手後手だ」。

一方で私たちは分かっている。状況を変える決断ができない。それは政治家とか知事とか一部のリーダーにだけが負うべき批判ではなくて、社会全体が共有する構造的な問題なのだ。だってさ、もし何かを決断するとするでしょ? それで失敗したら? 「対応が後手後手」と決断しないことを批判してきた私たちコメンテーターは、掌を返したように、肉の塊を放られたピラニアさながらの獰猛さを以て決断者に襲い掛かるだろう。

大阪府の吉村洋文知事への猛烈なバッシングを見ながら、私はその思いを新たにした。2回目の緊急事態宣言、3月7日の期限を待たずに1週間前倒しで解除した吉村知事は、その後の大阪府の感染拡大の責任はすべて知事の誤った判断にあるとばかりにものすごい勢いで叩かれた。