「手術は、もうしない」コロナ禍で母を看取った田村淳が語る「母ちゃんとの最期のとき」

親が死ぬのはずっと先のことだと思っていた…。だけど、その日は容赦なく訪れる。そのときどんなお別れができるだろう?

未だ脅威の治まるところを知らない新型コロナウイルス禍。イレギュラーな事態に混乱の尽きなかった2020年は、誰しも忘れがたい1年だっただろう。

タレント「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(47)にとってはなおさらのことであった。田村は2020年8月、コロナ禍の中、がん終末期で入院中の母・久仁子さんを亡くしている。久仁子さんは、一切の延命治療を拒否。尊厳死宣言書を残し、自分の最期を決めていた。そんな母の希望を、田村ら家族はどのように受け入れたのか。そこには、愛ゆえの葛藤があった――。

田村淳(たむら・あつし)1973年、山口県下関市生まれ。1993年、田村亮と「ロンドンブーツ1号2号」を結成。バラエティ番組や経済・情報番組などレギュラー番組多数。2019年4月、慶応義塾大学大学院メディアデザイン科に入学。2020年8月より、遺書を動画にして、大切な人に想いを届けるサービス「ITAKOTO」ローンチ。2021年3月、同大学院修了。亡き母との別れを綴ったノンフィクション『母ちゃんのフラフープ』(ブックマン社)が5月31日発売
『母ちゃんのフラフープ』(ブックマン社)

「話があるから、電話をくれる?」そうLINEが届いた

――お母さまががんを発症されたのは、2015年のことでした。

2015年の夏のこと、暑い日でした。母から来たLINEには、『話があるから、電話をくれる?』と書かれていました。なんとなく変な感じがした。仕事が一段落してすぐに折り返しの電話をすると「あのね」と言い、ほんの少し間がありました。

「あのね、お母ちゃん、がんが見つかったんよ」

「お父さんに一緒に病院に行ってもらってな、検査した」

「左の肺にな、見つかった」

オンライン取材に応える田村淳さん

母は日頃から「うちは何かあった場合、延命治療はせん」と話していました。

最初に聞いたのは僕が20歳の頃。看護師という仕事で、長年、医療の現場にいたことが関係していたのかもしれません。ここ数年は、実家に帰省するたび、口癖のように言っていました。

 

だけど、いくら母がそんなことを呟いていても、そんなのは遠い未来の話であると高をくくっていたんです。それが急に現実になって、戸惑い、心臓のどきどきが止まりませんでした。

編集部からのお知らせ!

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/