日本リスクコントロール社長 寺尾文孝氏

田中角栄を無罪にしようとした法務大臣

伝家の宝刀「指揮権発動」はなぜ未遂に終わったか
「決断力、人脈、胆力のいずれの面でも、傑出した人物。それが寺尾さんです」(元総理大臣・細川護熙)
「こんなに顔の広い人には、会ったことがない」(野球解説者・江本孟紀)

年会費2000万円。日本最強・最高の危機管理会社、日本リスクコントロール。著名政治家、一流企業経営者、「芸能界のドン」、暴力団組長までが頼りにする知られざる「駆け込み寺」だ。依頼を受けるのは紹介者からの紹介があったときのみ、電話番号も公開せず、ホームページすらない。
同社の寺尾文孝社長は警視庁元機動隊員で、秦野章元警視総監の秘書を経て日本ドリーム観光の副社長を務め、許永中、伊藤寿永光、高橋治則、後藤忠政、中江滋樹らバブル紳士と対峙した。1999年に日本リスクコントロールを立ち上げ、政財界の「盾」として闇から闇に数多くの依頼を処理してきた。政治家・経済人・芸能人たちの「墓場まで持っていく秘密」。その一端を明かす驚愕の手記『闇の盾』の一部を紹介する。

ミスター検察への怒り

「寺尾君、今日ちょっと行こうか」

いつも政治家や官僚を引きつれ、料亭やクラブへと繰り出す秦野先生から、珍しく2人きりで食事に誘われたことがあった。秦野先生が法務大臣になって2年目、昭和58(1983)年11月のことである。秦野先生は72歳、私は42歳だった。

恩師・秦野章先生(北野アームス内の事務所で)
 

秦野先生についている警視庁のSPが、ほぼ私と同年齢の連中である。銀座の裏通りの地下にある料亭「松島」の座敷で向き合い、熱燗をあおった秦野先生はいつになく険しい顔つきだった。

「寺尾君、俺がなんでもできると思ったら大間違いなんだぞ。君はそういうふうに思っているかもしれないけど」
「…………」

秦野先生がなんでへそを曲げているのか、いまひとつわからない。夜が更けるにつれ、秦野先生のピッチはさらにあがり、何本もの徳利が空になった。

「法務大臣だなんていったって、なんにもできないんだよ。人事ひとつ、自分の思う通りにできないんだから。法務大臣の力なんてそんなもんだ」

話を聞くうち、秦野先生の怒りの原因が少し、見えてきた。実はこの直前、伊藤栄樹(いとう しげき)最高検次長検事が、東京高検検事長に昇格することが決まっていた。東京高検検事長は、確実に検事総長となる「待機ポスト」である。つまりこの人事は、伊藤栄樹の検事総長昇格を意味していた。

伊藤はロッキード事件当時、法務省刑事局長を務めた検察のエースだが、秦野先生は、伊藤の検事総長就任をなんとしてでも阻止しようとしていた。

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