それにしても、前半の饒舌な会話劇とは対照的に、後半のかごめを送るとわ子の行動が、「友達を亡くした今週、こんなことが起こった」という伊藤沙莉のいつものナレーションによって、爽やかなBGMをバックに、淡々とダイジェストで処理されていくのはなぜだろう。かごめに悲壮な別れは似合わないと、明るく送り出そうとするとわ子の心情を表しているのか。彼女の死を整理できないまま、時間は日常と変わらず刻々と進んでしまう残酷さを象徴しているのか。

いずれにしても、このドラマが、かごめの死を単なる悲劇やサプライズ、永遠の別れとして用意したわけではないのは確かだ。なぜなら、第2話でとわ子が慎森にかけた「別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ」という言葉は、坂元作品においては死者に対しても向けられているからだ。

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たとえば、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016年・フジテレビ系)には、主人公の杉原音(有村架純)が恋する相手・曽田練(高良健吾)が、震災を経て心を荒ませてしまう展開がある。故郷や思い出の場所が変わり果て、唯一の肉親である祖父(田中泯)も病気で人が変わってしまったまま亡くなったことが原因だった。

最終的に練は、音の必死の説得によって、祖父が最後まで人間的な感情や生活を忘れていなかったことを知り、素直な心を取り戻す。印象的なのは、2人を見守るグランドマザー役とも言える静恵(八千草薫)が、「生きてる自分を責めちゃだめよ」と練を諭す場面だ。

静恵「(音を見て)音ちゃんを見てると、音ちゃんのお母さんがどんな人だったかわかる。(練を見て)練を見てると、練のおじいちゃんがどんな人だったかわかる。(微笑みながら)わたしたち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも、一緒に生きてるのね
(『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう2』河出書房新社・第7話より)

震災当時、「なぜあの人は亡くなり、自分は生き残ったのか」という答えのない理不尽に対する罪悪感や後ろめたさに苦しんだ人は多いだろう。それに対して坂元は、「死者は失われるのではなく、私たちの見た目やしぐさ、言葉や行動の中に存在した証となって残り、ともに生き続けていくのだ」という答えを提示したのである。