司「僕はみんなのちゃんとしてないところが好きなんです。たとえ世界中から責められても、僕は全力でみんなのことを甘やかします
(『カルテット2』河出書房新社・第9話より)

坂元作品ではしばしば、登場人物たちのダメなところを認め、受け入れ、餃子のように包み込んでくれる擬似家族的な居場所が舞台となる。『まめ夫』の元夫たちにとっては、とわ子がそんな存在だった。だが、従来と少し趣が異なるのは、自分の欠点も魅力もまるで自覚できておらずぼんやり生きてきた男たちが、その甘えを指摘され、とわ子に依存し頼り切っていたことに気が付く点だ。

それは、恋愛・結婚という既存のシステムでは、一見包摂し合っているようでいて、どうしても男が女に献身や許しを強いてしまうことが暗示されているかのようだ。そのシステムを解体した(はみ出した)とき、初めてとわ子と元夫たちは対等に連帯することができるのではないか。坂元作品において、叶わなかった恋や、離婚してからの夫婦など、異性愛規範から解き放たれた男女のほうが、むしろ自由で豊かな関係を築いているように見えるのは、そうした理由かもしれない。

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死は決して喪失ではないというメッセージ

そして、第6話ではもう一人の「不在」にも触れなくてはならないだろう。誰もが驚いた、綿来かごめ(市川実日子)の突然の死である。これまで熱心にドラマを見ていた視聴者でも、この展開を予想するのは難しかったはずだ。

確かに、「最後の晩餐はコロッケかな」「実家でお葬式あげられるのだけは嫌だから」といったかごめの発言や、「大人になるまでまだ多分100年くらいかかるし」「生きて見届けたいな」というとわ子とのやりとり、「寝違えたのかな」とかごめが肩や背中を痛がる描写(心筋梗塞の兆候とも言われる)、最後の会話における「今日仕事終わったら靴下買ってきてあげる」「今晩、誕生日プレゼントで最初の読者にしてあげるよ」などのセリフは、今から思えばフラグだったといえるかもしれない。

だがそんな考察は、無駄吠えしていた犬を、地震が起きてから思い出して「予知してた」と褒めるようなもの。人の死は理不尽に訪れ、ドラマのようにきれいな伏線など張ってくれないのだ、と言わんばかりのリアルな描写だったと思う。