釜石ラグビーV7レジェンドが被災地の未来に繋ぐ「見果てぬ夢」

ワールドカップが植えつけてくれたもの
大友 信彦 プロフィール

本当にワールドカップができるのか

震災から2ヵ月が経とうとする5月3日、釜石シーウェイブスが練習を再開したと聞いても、坂下には現実感がなかった。震災直後のシーウェイブスの選手たちの活躍は聞いていた。町の人たちから、「おまえら、もう手伝うのはいいから、ラグビーの練習をしろ」と言われたことも聞こえてきた。だが、坂下は、アドバイザーという肩書きはあっても現役選手でもコーチでもなく、職場には仕事が山積していた。

 

生活にラグビーが戻ったのは5月15日、シーウェイブスが震災後、初めての試合を行った日だ。盛岡南球技場で行われたIBC杯の関東学院大戦。試合に先立ち、会場ではレジェンドによるタグラグビーの試合が行われた。

会場には、「スクラム釜石」を立ち上げたばかりの石山次郎らV7時代の釜石レジェンド、林敏之や藤田剛ら日本選手権、社会人大会で鎬(しのぎ)を削ったライバルたちが集結したほか、女子日本代表の鈴木彩香ら、時代を超えたラグビー仲間が集った。

震災 2 カ月後の 5 月15日、盛岡で行われた IBC 杯はチャリティー試合として行われ た。岩手山をバックに、後列左から 3 人目が坂下

坂下はひたすらボールを追った。無心になれることが幸せだった。ひととき、現実を忘れることができたからだ。何も考えず、心から笑えた。

IBC 杯の前座企画で、坂下はレジェンドたちとタグラグビーで汗を流した
2011 年 7 月、太田市で行われた三洋電機OBとのOB戦で

6月にはヤマハ発動機が釜石を訪れた。市内の避難所からたくさんの人が松倉グラウンドへやってきて、選手たちの激しいプレーを見てくれた。だが、「釜石でワールドカップをやれないかな」という言葉を石山から聞いたときは、それを素直に受け取ることができなかった。

震災から2ヵ月が過ぎ、3ヵ月が過ぎても、故郷の傷は癒えていなかった。周りには苦しんでいる人たちがたくさんいる。そこで生活している自分に、夢物語は口にできなかった。

「勝手にやってよ」――坂下は、素っ気ない言葉を返すしかなかった。

坂下にとって、ワールドカップは夢の世界だった。

ラグビーワールドカップが初めて開かれたのは、新日鐵釜石が社会人大会と日本選手権の7連覇にピリオドを打った翌年だった。

1987年の第1回大会に、新日鐵釜石のチームメイトからは洞口孝治、千田美智仁、桜庭吉彦の3人が出場した。坂下は日本代表に選ばれて当然の実力者と目されながら、不思議と代表には縁がないまま、主役は次の世代に移っていった。

V7の後に誕生したワールドカップという夢の舞台は、回を重ねる毎に巨大化し、準決勝や決勝では8万人、9万人の観衆が押し寄せる、世界屈指の巨大スポーツイベントに成長していた。檜舞台から降りた坂下にとってそれは、眩しすぎる、自分たちのやっていたラグビーとは別世界のイベントに見えた。

そんなワールドカップが、釜石のような小さい町に本当に来るだろうか。坂下にはそんな疑念が消えなかった。

2012年には神戸製鋼の選手とともに被災地支援に訪れた平尾誠二がワールドカップ招致の価値を訴え、招致を望む空気は少しずつ高まっていったが、地元に暮らす身でそれを声に出すのは憚(はばか)られた。

2012 年 9 月には秩父宮ラグビー場で神戸製鋼OBとのチャリティーマッチが行われ た

釜石シーウェイブスの選手やスタッフも、新日鐵(現・日本製鉄)の社員も、内心ではワールドカップ招致を願っていても、公にそれを口には出せずにいた。陰で応援しても、そのことは公言しなかった。

そもそも、被災地の生活は困難を極めていた。夢はあったほうがいい。だけど、実現できそうもない夢を見せたくはなかった。

もちろん、2015年にワールドカップの釜石開催が決まったときは嬉しかった。とはいえ、決まったら決まったで、手放しでは喜べない気がした。本当に釜石でワールドカップが無事に開催できるだろうか? 

2018年に鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが完成したときも、ここにスタジアムができたのかという感慨を覚えた半面、このスタジアムでワールドカップをできるのかな、という思いもよぎった。

2018 年 8 月、釜石鵜住居復興スタジアムが落成。小さなスタンドと屋根のあるだけ の質素なスタジアムだった
鵜住居スタジアムオープニングイベントで行われた神戸製鋼とのOB戦で。松尾雄治や 林敏之ら往年の猛者とともに新スタジアムの芝を駈けた

小さなスタンドと小さな屋根。ゴール裏はがらんとして風が吹き抜ける――だが、そんな心配を口にする坂下に、たくさんの人が、「そこがいいんだよ。こんなに風景に溶け込んでいるスタジアムは世界中探してもないよ」と言ってくれた。

その通り、すべては杞憂だった。

坂下がそれを知ったのはワールドカップ本番の日だった。

2019年9月25日。釜石で最初の試合となったフィジー対ウルグアイのチケットを手に入れた坂下は、釜石鵜住居復興スタジアムに向かった。

澄み切った空の下、スタジアムに向かう人の波にのまれ、流されていくのは不思議な感覚だった。釜石では見たこともない人の数。その誰もが笑みをうかべて、スタジアムへと歩いて行く。その中にいるのが心地よかった。気がつくと、自分も心の底から笑みを浮かべていた。幸せだった。本当に、夢のようだった。

2019 年 9 月 25 日、ワールドカップ当日。V7時代のチームメートだった千田美智仁 (左)、泉秀仁(右)と。みな底抜けの笑顔

がらんとしていたゴール裏には仮設のスタンドが設置され、試合中はこどもたちの「ガンバレ、ガンバレ」の声援が絶え間なく続いた。数え切れない応援の大漁旗が翻った。

ピッチの中では、過去2度のワールドカップ8強進出を誇るフィジーと、参加20ヵ国の中で最も遠い、地球の真裏からやってきたウルグアイが対戦。サーカスのようなパスをつないでスリリングなアタックを仕掛けるフィジーに対し、ウルグアイは頑健なタックルまたタックルを繰り返し、ワールドカップ日本大会で最初のアップセットとなる勝利を飾った。

スタンドでは、ウルグアイの応援団が抱き合い、選手たちとともに喜びの歌を歌った。フィジーの応援団は、落胆しながらも戦った相手を祝福していた。釜石の人たち、岩手県や東北各地、日本全国、そして世界の各地から集まったファンが、火花散るタックルに、スリリングなトライに歓声をあげ、跳び上がった。

勝利に沸くウルグアイ応援団。ワールドカップの楽しさは予想以上だった

坂下も何度も大声をあげた。目の前の光景は、スタジアムこそ小さくとも、坂下がテレビ画面を通じて憧れていた、ワールドカップという夢の舞台そのものだった。

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