福島第一原発事故 想定高さ「15.7メートル」保安院に報告4日後、現実に…

「津波対策は不可能だったのか」第5回
NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

東日本大震災4日前に伝えられた「15.7メートル」

2010年8月。福島第一原発を巨大津波が襲う7ヵ月前のことだ。東京電力の内部で津波対策を進めるためのワーキンググループが立ち上がった。グループには、土木グループをはじめ、津波対策に関わる各グループの担当者が集められた。

2008年7月に武藤が研究を進める方針を示し、対策を事実上保留して以降、各現場では各グループの検討は進められていたが、具体的な対策はこの2年間で進んでいなかった。

その流れを変えたワーキンググループの立ち上げ。きっかけは、皮肉にも公表を行っていなかった日本原電の津波対策を東京電力の担当者が知ったことだった。

「これではいけない。弊社もしっかりやらないと」

きちんとした体制で対策の検討を進める必要を強く感じた担当者はワーキンググループの立ち上げを幹部に進言したのである。

ようやく社内の議論が胎動した東京電力。しかし、検討は容易には進まなかった。2010年12月に開かれた第2回目の会合では怒声さえ響いたという。当時の状況を知る土木グループの社員が裁判で証言している。

「いろいろ対策を所掌しているグループから、こんな問題があって難しいという話がたくさん出てきた」

これに対して、ワーキンググループのトップを務めた幹部は

「そんなこと言ってないで何かできることをちゃんと考えろ」「できないことを並べ立てているだけじゃなくて、解決する方法を考えろ」

怒気を含んだ声で指示を出したという。現場の動きは鈍かった。なぜなのか。

当時の状況を知る東京電力の元幹部は理由の一つに東京電力という巨大組織の縦割り、風通しの悪さがあったのではないかと言う。縦割りで横のつながりが弱く、部門と部門の間で情報が遮断されていた。それゆえに土木グループの危機感は他のグループには伝わっていなかったというのである。

また、別の元幹部は、縦割りでそれぞれ専門性が特化しているために、全体としての安全性を見ることができなかったとも振り返っている。例えば、津波の高さを想定する担当者は、原子炉を冷やすために重要な安全設備がどこにあるのかについては十分に把握できていない。そのため、津波が敷地の高さを超えて建屋に浸水すればすぐに炉心損傷につながりうるという想像力を持つことができなかった。

一方で、安全対策を検討する担当者からすれば、地震や津波についての専門知識はほとんどなく、本当にそのような巨大津波に備える必要があるのかと、危機感を持ち得なかったのではないかというのである。先に語った日本原電とは違った組織の困難さを抱えていた。

しかし、ともあれ、ワーキンググループの設置で前に進み始めた東京電力。会合を開くなかで、リスクの共有が徐々に進んできた。2011年の2月14日には4回目の会合が開かれた。議事録によると、建屋の浸水防止対策などについて、各グループが連携して取り組んでいくことや津波の解析や模型での実験を実施することなどが検討されている。

ワーキンググループでは、津波が原子炉建屋のある敷地まで遡上し、建屋に浸水する可能性があることを前提とし、安全上重要な電源を守る対策の必要性を認識していた。この日のワーキンググループは5回目の開催を4月4日に決めて閉会した。しかし次の会合が開かれることはなかった。

【写真】社内で議論が活発化したがようやく活発化した議論。しかし次の会合が開かれるより前に、"あの日"がやってきた

2011年3月7日。保安院の担当者2人は、東京電力からあの15.7メートルという津波の計算結果を初めて伝えられる(本連載第2回参照)。聞いた1人は、どう理解したらいいかわからない状態になったという。東京電力内でこの津波の高さの想定結果が出されてから3年もの年月がたっていた。

そしてその4日後、東日本大震災が発生し福島第一原発に15メートルを超える巨大津波が襲いかかったのだった。

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