福島第一原発事故 直前の津波対策で事故を回避した電力会社があった

「津波対策は不可能だったのか」第3回
NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

直前の津波対策で事故を回避した日本原電

2011年3月11日の東日本大震災、東海第二原発は地震の揺れを感知し自動停止した。東海村で震度6弱の揺れを観測し、原発ではタービンの軸が大きく震動したため、約2分後に原子炉が止まったのだ。

外部から電源が送られず、3台の非常用ディーゼル発電機が起動し、原子炉の冷却が続けられていった。しかし、地震発生から約4時間半後のことであった。非常用発電機を冷却して動かすための海水ポンプ1台が、津波によって水没する。残る2台の海水ポンプを使って2台の非常用発電機を動かし続けることとなった。

実は、これは山田からの非公式とも言える要望に日本原電が応えた結果であった。日本原電は、東海第二原発の海の近くにあった3台の海水ポンプまわりの壁の高さを6.1メートルに上げる対策に水面下で乗り出していた。東日本大震災では約5.4メートルの津波が押し寄せた。対策を取る前の海水ポンプの壁の高さを50センチ上回るものだった。対策を取っていなければ3台のポンプが浸水し、壊れることを意味する。

震災当時、一部の排水溝の穴を塞ぐ工事が終わっていなかったため、1台が水没することになるが、壁の工事は完了しており、2台のポンプは守られた。東海第二原発の原子炉は、時間をかけて冷却され、重大な事故に至ることはなかった。

山田は、2011年3月に退職する予定だった。しかし、退職目前の3月11日に東日本大震災、原発事故が起きる。避難してきた多くの人たちの避難先や避難経路の確保、放射線量を測定するモニタリングに従事した後、翌4月15日に退職した。作業着のまま辞令を受け、一人県庁をあとにした。山田は、原子力を扱うのであれば、常にリスクと向き合い続けなければならないと語った。

「原発や原子力施設では、事故やトラブルが幾度となく繰り返されてきた。福島第一原発の事故から数年が経つが、電力事業者・国・地元自治体は、緊張感を持ち続けて、リスクはどこにあるのか調べ議論し続けなければ、原子力はいつ再び、私たちの生活を脅かすかわからない」

【写真】太平洋岸にほど近い東海第二原発太平洋岸にほど近い東海第二原発。一人の県職員の熱意が原電を動かし、県民を。国民を救った gettyimages
 

日本原電の功

自治体の要望を踏まえて東海第二原発の津波対策をいち早く進めた日本原電。社内で対策を進めることに異論は出なかったのだろうか。東京電力のようなことはなぜ起こらなかったのだろうか。当時、対策を検討した関係者から話を聞くことができた。

「長期評価などをもとに、津波が来るだろうというリスクは社内で共有されていたと思う。まずはできる対策を取っていき、大規模な工事は今後、順次やっていけばよいという考えだった」

実は、日本原電では、茨城県の津波浸水想定にもとづく想定を大きく上回る、あの長期評価にもとづいた想定で対策を講じていたのだ。最大の津波の高さの想定は従来の倍の12.2メートルにもなる。そして、少しずつできるところから対策が進められていったという。

複数の関係者によると、日本原電の本店で、津波対策を中心となって進めたのは「耐震タスク」と呼ばれるチームだった。「耐震タスク」は、2006年に国がバックチェックを指示したことを受けて地震や津波の新知見に対応するため、社内のさまざまなグループから代表者が集まる組織横断的な部隊だった。各グループの情報は耐震タスクに集約され、対応が検討される。結果を各グループに持ち帰っては、共有・検討を繰り返す中でさまざまなアイディアが出ていたという。

特に津波対策で中心となったのは、事故対策などを担当する発電管理室と、土木や建設などを担当する開発計画室という部署だった。日本原電は原子力専業の会社であり、他の電力会社と比べて規模が小さかったため、担当者レベルで密に情報交換ができたと振り返った。

こうした素地があった日本原電。茨城県からの非公式な要望にも迅速に応えることができる準備が整っていたと言える。その結果がすぐに東海第二原発の津波対策につながっていく。

一般的に原発では、敷地内に一切水が入らない「ドライサイト」が想定されている。津波の流入を防ぐのであれば、防潮堤などを建設することが考えられるが、当時、日本原電では、大がかりな工事を行うには巨額の費用と長期間の工期が必要となるため、いつ実行できるか不透明だったという。

このため、耐震タスクは、各グループが連携して、敷地に水が入ってきたとしても、まずは少しでも機器や設備を守る対策を進めようと、防潮堤ではなく、短期間で安価にできる盛り土と、建屋の防水という複合的な対策案をまとめていたのだ。2009年にこれらの対策は講じられた。2011年の東日本大震災では、津波はそこまでの位置に達しなかったが、対策は間に合う形となっていた。

日本原電は、扉の水密化といった津波対策を太平洋側だけでなく、日本海側の福井県敦賀市にある原発でも実施していたことも取材でわかった。東京電力をはじめ電力各社が巨額な費用を前提として躊躇した津波対策。時期的には、土木学会に研究を依頼するとして東京電力の動きが止まった2008年に、着実に対策が進められている。柔軟で的確にリスクに向き合うひとつの答えを日本原電は示したといえる。

私たちはこの事例を踏まえて電力各社に東日本大震災前の津波対策について取材した。すると、静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原発でも対策に着手していた。想定を超える巨大津波で地下トンネルから海水が敷地内に入り込む可能性を考え、震災の前に防水性をより高めた扉の設置を進めていた。また、配管の隙間を塞いで海水の流入を防ぐ工事も行っていた。さらに高さ10メートル以上の防潮堤の設計も始めていたのだ。

しかし、こうした前向きな対策の事例が東京電力をはじめ業界全体に波及することはなかった。いったいなぜなのか。

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