福島第一原発事故 動き始めた津波対策はなぜ実現しなかったのか?

「津波対策は不可能だったのか」第2回
NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

裏目に出た「御前会議」

結局、こうした流れの中で、トップを含めた幹部が勢揃いする御前会議も機能しなかったことになる。当時の東京電力は非常に上下関係が厳しい会社だった。何階級も飛び越えて上役に意見をするなどということはない。また縦割りの文化も根強い。そうした風土の組織にあって、現場の管理職が社長に直接説明するということは、通常ならあり得ないことだった。それも、縦割りを超えて多くの部門の担当者が一堂に会す御前会議は異例だった。

その点で会議自体は会社として意味があるものだったと同じ元幹部は話す。「現場の部長クラスや課長クラスに説明させて、勝俣さんが話を聞いている。それだけ危機感があったということで、それ自体は英断だったと思う」

御前会議は、縦割りを排し、意思決定を迅速にし、柏崎刈羽原発の再稼働に対しては効果があったという評価の声が社内にある。

【写真】柏崎・刈羽7号機新潟県中越地震による被災から1年10ヵ月、試験運転に入った7号機制御室の様子(2009年5月ころ) Photo by gettyimages
 

しかし、福島第一原発の津波対策には機能しなかった。機能しなかったばかりか、結果的に悪い作用をもたらすことになった。どういうことか。

それは津波想定を担う現場の社員たちと経営幹部の受け止めに齟齬(そご)が生まれたことだ。

土木の現場の社員からすれば、幹部が勢揃いする会議で方針が説明され、異論は伝わってこなかったため、大きな方針は認められていると受け止められていた。そのため現場は準備を進めていくのだった。

当時、東京電力の内部で交わされていたメールが残されている。そこには御前会議のあと、津波水位を想定する土木グループや対策を検討するグループが情報を共有しながら、対策の検討を進める様子が記されている。そこには、「社長会議(御前会議)でも津波の対応について報告しています」との文言も出てくる。社長を含めた幹部の了承を得られているとの認識のもと、対策検討を進めていたことがうかがえる。

しかし、実際は先にも書いたように、資料は提出されたものの、具体的な意見交換がされたかはわからない。少なくともそのような事実は裁判でも取材でも確認できなかった。

あの御前会議でどのような報告がなされ、勝俣らはどう応じたのか。具体的なことは未だ藪の中である。ただ、現場は伝えたつもりになり、決定権を持つ経営幹部は、後になって聞いていないということになった。結果的に双方に乖離を生じさせうる会議だったのである。これはその後の東京電力の動きに影響を及ぼす。

中越沖地震とバックチェックの変容

もうひとつ、中越沖地震がもたらした余波にも触れておく必要がある。それはバックチェックの在り方の変容についてだ。

2006年の耐震指針の改訂にともない電力各社は地震と新たに項目に加えられた津波に対して従来の想定が適切か検討し、自社の原発に影響がないか再評価する作業を開始していた。期間については電力各社と保安院の間で3年程度かけて行うということでコンセンサスが得られていたという。そのため東京電力は福島第一原発については2009年6月までにバックチェックを終えて報告書を提出するとの工程を保安院に示していた。

しかし、2007年7月に中越沖地震が発生。柏崎刈羽原発をそれまでの想定を超える揺れが襲うことになる。保安院は発生の4日後の7月20日には電力各社に中越沖地震から得られる新しい知見を作業中のバックチェックに適切に反映させるよう指示を出した。また、できるだけ早い対応も求めた。

電力各社は翌8月にバックチェックの内容や今後の作業をどう進めるかなどを保安院に説明した。ここで元々なかった「中間報告」という概念が登場する。バックチェックの最終的な報告には3年程度とされたが、これでは時間がかかり過ぎる。そこで、その前に一度「中間的な」報告を挟むということだ。中越沖地震の新しい知見の反映を急ぐ必要性を踏まえ保安院もこの進め方を了とした。

東京電力は翌年の2008年3月、福島第一原発については5号機を代表的なプラントとして評価し中間報告を提出した。安全上重要な主要設備の耐震性の評価が行われた。津波の評価は中間報告にはなく最終報告に譲られていた。そしてその最終報告は当初の予定通り2009年6月に提出するとした。ただ期限は「進捗によって見直される場合がある」とされ、先延ばしに含みを残した。そして実際にそうなっていく。

中越沖地震を巡ってはその後も地下構造の影響で揺れが増幅したことなど新しい知見が出てきた。保安院は追加的に電力各社にバックチェックに反映させるよう指示をした。作業量が増えていったのは確かだった。そして2008年12月8日。この日、東京電力はプレスリリースを出した。追加的な作業の実施が必要になったとして2009年6月としていた福島第一原発の最終報告の提出を延期すると記されていた。いつ提出するかは示されなかった。結局、東日本大震災のその日まで最終報告は出されないままだった。

中越沖地震の経験から電力各社は原発の地震対策を強化した。間違いなく国内の原発の耐震性は向上した。その一方で津波の再評価を求めたバックチェックの最終報告は遅れることになった。結果的に震災の前にバックチェックによって福島第一原発の津波対策を進めることはかなわなかった。もちろんすべて結果論ではある。が、あまりに皮肉な結果だといえる。

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