福島第一原発事故 動き始めた津波対策はなぜ実現しなかったのか?

「津波対策は不可能だったのか」第2回
NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

「御前会議」

東京電力で津波を評価する部署は、土木グループである。東京電力の中で地震や津波対策を専門とする集団だ。彼らは、2007年11月ごろより、本格的に福島第一原発の津波について検討を開始していた。東京電力のグループ会社で津波のシミュレーションなどを行っている東電設計の担当者とともに打ち合わせをはじめ、11月21日には、長期評価を取り入れた場合の概略的な計算結果を得た。

それによると、福島第一原発で想定される津波の高さは7.7メートルであった。それまでの想定の5.7メートルを上回っていた。そして、これはあくまで概略の計算であり、詳細な計算を行えば、想定水位はさらに高くなる見通しだった。

こうなると当然ながら、1グループの手に負える仕事ではなくなる。

土木グループでは、早く津波に対する認識を社内で共有したいと考えていた。そのため、津波対策を進める別のグループへの情報共有や、実際の現場となる福島第一原発、第二原発での説明などを実施している。

 

当時、東京電力には情報を共有するための絶好の場があった。このとき、社長であった勝俣をはじめとする幹部が一堂に会する会議が月に1回程度、開かれていたのである。通称「御前会議」だ。社長が出席するため、社員の間でそう呼ばれていた。

2008年2月16日に開かれた御前会議に提出された資料が残されている。この中には、長期評価を取り入れ、津波の高さを見直す必要があること、その場合、この時点でそれまでの想定を超えること、詳細な計算によってさらに津波水位が高まることなどが記されている。とすれば、この時点で土木グループの方針は共有され、社内の方針となっていったということだろうか。

しかし、実は、このことが御前会議で説明されたのかどうかがはっきりしないことがわかってきた。津波想定に中心的に関わっていて、この日の会議で説明するはずだった担当者が、折り悪しく体調を崩し欠席していた。代わりに説明を担当したとされるのは、欠席した担当者の上司だが、提出されていたはずの資料が御前会議でどう扱われ、どう判断されたのか、取材を重ねてもはっきりしないのである。ただ、資料は確かに提出されている。

このときの事実関係は、裁判でも焦点の一つとなった。裁判で検察官役を務めた指定弁護士は、当時の社長の勝俣らは、この時点で、長期評価について認識していたのではないか、つまり、従来の想定を超える津波が起こりうること、それに対する対策が必要になることを認識していたのではないかとただした。

これに対して、勝俣ら3人はいずれも否定し、その時点ではそのような説明を受けた記憶はないと述べている。

【写真】御前会議提出資料2008年2月16日に東京電力の御前会議に提出された内部資料の一部。長期評価を取り入れて津波対策を見直す必要性について書かれているが、この会議で意見が交わされたかどうかはよくわからないままだ(東電株主代表訴訟の証拠資料より) ©NHK

新潟県中越沖地震の影

安全性に関わる極めて重要な情報。幹部が勢揃いする会議の場にあげられていながら、結果としてその情報を生かすことができなかった。この御前会議とは何だったのだろうか。

取材班では、御前会議に出席したことのある複数の元社員に取材を試みた。するとある事情があったことがみえてきた。

この会議には、設置自体に明確な目的があった。それは、その年の前年2007年7月に起きた新潟県中越沖地震で大きな被害を受け全基停止していた柏崎刈羽原子力発電所への対応だ。会議の正式名称も、「中越沖地震対応打ち合わせ」であった。そのため、あくまで柏崎刈羽原発が主体の会議であり、福島の原発に関わることは付け足し程度で、時間が足りなくなると、省かれることもあったという。

また、会議に出席していたある元幹部は、「会議では一度に多くの資料がその場で配られ、どんどん説明が行われていく。たとえ説明があっても記憶に残らないだろう」と話した。この元幹部自身も福島第一原発の津波について話し合われた印象が残っていないと証言している。

当時のことを知る東京電力の関係者に取材すると、誰もが口にしたのが、当時の社内における中越沖地震のインパクトの大きさである。社内の最大の関心事はとりもなおさず柏崎刈羽原発の再稼働だったというのだ。別の元幹部は悔恨を込めて振り返る。

「やっぱり柏崎刈羽原発の問題が大きかった。世界最大規模のプラントが全部止まって、しかも地震動が思っていたよりすごく大きくて、いったいこれからどうなるのだろうというパニック状態だった」

経営的に深刻だったのは、想定を超える揺れに見舞われ、全基が停止に追い込まれたことである。

柏崎刈羽原発は新潟県柏崎市と刈羽村にまたがる敷地に全部で7基ある。総出力は821万キロワット。世界最大規模の原発だ。原発は、動き続けることで莫大な利益を生む。逆に、想定外の停止が長引くと経営には大きなダメージとなる。

予期せぬ形での柏崎刈羽原発の全基停止は、東京電力にとって切迫した経営問題だった。さらに柏崎刈羽原発で観測された地震の揺れは想定を大きく超えていた。つまり、保安院と電力会社の地震想定の甘さが突きつけられていた。このため再稼働に向けては、なぜ揺れが想定より大きくなったのか。今後どのような想定をすべきなのか。そして、どう対策を取るのか。こうした一連の問題に答えを出さなければならなかった。

2007年7月16 日に発生した新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の変圧器から出火する様子 ©NHK

こうしたなかで、福島第一原発や第二原発、それも津波への意識は極めて希薄だったと東京電力の元幹部は振り返る。「柏崎があれだけ傷んでしまって、みんなの目がそっちにフォーカスしてしまい、その間はどうしても福島の原発のことはおざなりになっていた」と。

この元幹部に、もし、柏崎刈羽原発の全基停止がなかったらどうなっていたと思うか聞くと、少し考えてから、「もう少しは津波の対策が進んでいたかもしれない。ヒト・モノ・カネがあって、バックチェックに対応しないといけないとなっていれば、違う結果になっていたと思う」とゆっくりと答えた。

阪神・淡路大震災の後、日本の原発は地震への備えが大きなテーマであった。そこに加え、想定を超える揺れを引き起こした中越沖地震。原子力業界の耳目は完全に地震対策へ集中してしまい、地震に付随する他のリスクへ目を向けることを難しくしてしまったのだった。

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