『まめ夫』の世界が「3」であふれている理由

なぜ本作は、こんなにも執拗に世界を「3」でデザインするのか。考えていたら、今年1月に刊行された『ユリイカ2021年2月号 特集=坂元裕二』(青土社)にその手がかりがあった。この中で坂元は、東京03の飯塚と対談しており、作劇における3人という人数について、次のように語っているのだ。

"二人だと対立していても一つの形ができて最後まで行くけど、常にもう一人いるので、なにか不安定なんですよね。このままじゃ終わらないという予感が継続してある"

"ドラマは長丁場なので、四人いると、二対二がベースになって、ちょっと安心した空気も出せる。二対一だと、一人がちょっと不安定になるので、三人はドラマには緊張感が強すぎるかなと思います"

これまで『東京ラブストーリー』や『最高の離婚』『カルテット』など、男2対女2という4人のドラマを好んで描いてきた坂元が、今作ではとわ子と元夫という1対3の構図にして、自らの作風のリズムをわざと変調しようとしていることがわかるやりとりだ。と同時に、坂元にとって「3」が、不穏な緊張感を予感させる数字であることもうかがえる。

つまり、このドラマにおいて「3」という数字は、ループする円環構造をなす最小単位であると同時に、その安定や調和の輪からはみ出そうとする不安定や未完成といったいびつさの象徴なのではないだろうか。

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第2話で、とわ子は慎森に「別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ」と語りかける。2人の交際が、捨てられていたソファを拾って帰ることから始まったように、叶わなかった思いは、いつか違う形でどこかに届く。終わってしまった結婚生活も、この先その人の大切な一部になる。これは、多くの坂元作品に通底するテーマだ。第5話には「残らない別れなんてない」というセリフがあるが、これは『カルテット』の名ゼリフ「行かなかった旅行も思い出になります」を思い出させる。

だから、私たちの人生は、決して同じことの繰り返しではない。しろくまハウジングがアートイベントの会場に設計した「螺旋型のエスカレーター」のように、この世界はループしているように見えて、しかしまったく同じところには戻らず、はみ出しながら少しずつ違う場所へ私たちを連れていく。

劇中にちりばめられた「3」という数字のごとく、私たちは望むと望まざるとにかかわらずこの世界にありふれていて、知らぬ間に関わり合っている。まるで、カフェで女子高生の頼んだいちごのタルトが、離れた席の無関係なとわ子の背中を、かつてそっと押していたように。

深読みかもしれないが、こんな考察を可能にしてくれる豊かさが、坂元作品の醍醐味と言えるだろう。