不特定多数で「社会の敵」を叩く“祭り”が、ネット上で発生するそもそもの理由

電脳世界に広がる「儚さ」を社会学する
奥井 智之 プロフィール

今回のコロナ禍の下で、人々は、たえず身体的距離をとるように求められてきた。

「社会的距離(social distance)」は、本来、人々の親密度を測る指標である(家族のメンバーは遠くにいても、その「社会的距離」は近いのが普通である)。したがって、ここでは、「社会的距離」と「身体的距離」を区分する。

理論的には、「身体的距離」を取ったからといって、「社会的距離」が広がるわけではない。しかし、「身体的距離」の拡大は、「社会的距離」の拡大のリスクを、つねにともなっている。

それが、コロナ禍の下で、わたしたちが直面してきた、根源的な危機である。

東京都内のコンビニ[Photo by gettyimages]
 

SNSのなかにある儚い社会

その危機は、コロナ禍以前から、わたしたちの周囲で進行してきたものである。さきに書いた、グローバル化と個人化の傾向が、それにあたる。そして、それを技術的に支援してきたのが、IT化であった。

IT化は、わたしたちの社会関係のありようを、劇的に変えた。端的に言えば、身体的な近接性によって成立していた、ローカルなコミュニティが意味をもたなくなった。その一方で、各種のグローバルなコミュニティが、ネット上に、生まれては消えていく状況が生じた。

SNSは、万人が(1)ネット空間のなかで自由に発信しうるとともに、(2)他のユーザーと自由に交流しうる、という前提のもとに構築されている。

もちろん、そこでの発言や交流に、さまざまな制約があることは断るまでもない。と同時に、そこでの社会関係の構築や維持がそう容易でないのは、SNSを経由しない場合とまったく同じである。

関連記事

おすすめの記事