「ダメ。ゼッタイ。」の伝え方で本当によいのか?

以前参加したイベントを思い出した。泌尿器科医の岩室紳也先生、精神科医の松本俊彦先生らが登壇するイベントでの『「ダメ。ゼッタイ。」は、だめ絶対!?』、というお話だ。

「ダメ。ゼッタイ。」は薬物乱用防止教育でおなじみの言葉だ。私も薬物に関する保健だよりを書いたとき、「ダメ。ゼッタイ。」と書いた記憶がある。しかし、この「ダメ。ゼッタイ。」は、薬物使用者を悪者にして孤立させてしまう可能性がある。困った問題があっても誰にも相談できなくなってしまう。「ダメ。ゼッタイ。」教育は対策した気になるだけで、問題は解決しない。と、いうような内容だった。なるほど、と思った。

これは薬物乱用防止教育だけでなく、学校教育や家庭教育のさまざまな場面でもよくあることだ。性教育やネットモラル教育でもそうだ。

SNSでつながった人と会うのは「ダメ。ゼッタイ。」
自分の裸の写真を送るのは「ダメ。ゼッタイ。」
不特定多数の人との性行為は「ダメ。ゼッタイ。」・・・。

これらは確かによくないかもしれないが、よくないとわかっていても、リスクがあるとわかっていても、やってしまうことがある。そういったリスクを100%犯さないと断言できる人は果たして本当にいるのだろうか?

ゼッタイ、ダメが強いほど、何かあったときに怖くて言えなくなってしまうこともある。photo/iStock

どういうときにそうなりやすいのか、そこに至ったのはなぜなのか、など気持ちや背景を想像しながら、会話しながら、一緒に考えていく時間が必要なのではないだろうか。「ダメ。ゼッタイ。」と大人が一方的に言ってしまえば、話はそこで終わってしまう。子どもは言いたいことを言えぬままの状態になってしまう。

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私も養護教諭だったとき、「ダメ。ゼッタイ。」教育で何度も失敗した。
「そんなことしたら危ないに決まってるやん」「もう2度とそんなことしたらあかんで」というふうに、禁止して、否定して、せっかく相談してくれた子の気持ちに寄り添えなかったことがある。そんなとき生徒は、保健室から無言で出て行ったり、翌日から来なくなったりすることもあった。

私のことを「安心できる、信頼できる、相談できる大人かもしれない」と思って相談してくれた子たちに、「相談しなければよかった」と思わせてしまったのだ。よくない、と頭でわかっていても、それをしてしまう気持ちや背景に寄り添い、最後まできちんと話を聴いてあげればよかったのに。「よく話してくれたね」と……。