日本の「大麻政策」、じつは「大いなる矛盾」が隠されていた…!

宮台真司、大麻を語る
宮台 真司, 大麻博物館 プロフィール

宮台 これに関しての一つの考え方ですが、僕は「多幸感(euphoria)と幸せ(happiness)は分けて考えよう」と提唱してきました。ドラッグで多幸感を感じるとしても、それは幸せとは同じではないと思うからです。脳内物質の分泌が同じでも、解放に到るまでの営みの「時間が伴う/伴わない」「記憶がある/ない」という差を無視するわけにいきません。時間や記憶と幸せとは、切っても切れない関係にあると思います。

話を戻すと、大麻に関しても、白か黒かの発想だけではなく、「脳内に作用する物質の使用が意味すること」を、もっと議論した方がいい。「ダメ。ゼッタイ。」の思考停止ではなく、人によって良い面も良くない面もあるんだから、どんな条件が良し悪しを左右するのかを掘り下げて議論するべきです。人の幸いとは何なのかを真剣に議論する絶好のチャンスです。「医療大麻だからいい」「嗜好用大麻は娯楽目的だからダメ」といった単純な白か黒かの話も、同じく本質から遠ざかる結果となるので、いただけません。

 

日本で大麻に関する議論が進まない理由

博物館 その点でいうと、日本において「大麻は社会にとって有用であるか否か」「どのように大麻と付き合えばいいのか」という議論すら進まないのはなぜか、とても不思議に思います。

宮台 日本で本質的な議論が進まないのは、日本人が「没人格化=クズ化」しやすいという劣等性に起因します。日本人は一般に個人としての性能が低いんです。権力に媚びるヒラメと、周囲を見て浮かないようにするキョロメだらけで、自分の頭でものを考えようとしません。

このミクロな欠点が、マクロな出鱈目に帰結します。先進国で日本だけが産業構造を改革できないがゆえに経済成長率も生産性も先進諸国で最低で、昨年には韓国やイタリアに平均賃金を抜かれ、最低賃金は高い国の半分という経済的な没落ぶりが、典型です。

かつて、劣等性は隠されていました。維新後の富国強兵や、戦後の経済復興においては、皆が同じ方向に頑張ればいい時代だったのと、地域の共同体や、戦後は会社の疑似共同体に、人々が埋め込まれていて、不安がなかったのが要因です。抽象的にいえば「共通前提」の存在です。

ところが、1980年代からの地域の空洞化と、1990年代からの企業の脱共同体化を背景に、人を頼るかわりに市場と行政だけを頼るシステム化が進み、人々が分断されて孤立し、在宅死者の4人に1人が孤独死であることも含めて人々が不安化しました。それが現在です。

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