# フェミニズム

フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造

「からかいの政治学」は今も?
江原 由美子 プロフィール

「遊び」という文脈的意味を共有する観客を確保できることが明らかであれば、「からかう」者は、「からかわれる」者に、非難されることなく「悪口を言う」「虚偽の情報を与える」「持ち物を隠す」等の不誠実な行為を行うことができる。

周囲の観客も「からかい」という「遊び」のゲームの共犯者になると分かっていれば、「からかわれる」者がどう反応するかにかかわりなく、その場を「遊び」の場面として維持できると推測できるからだ。周囲の観客も、「からかわれる」者が「うろたえる」のを「楽し」むことが明らかであれば、「からかわれる」者が怒れば怒るほど、「からかう」者の「からかい」が功を奏したことになるのだ。

「からかわれる」者は、自分がどのように怒ろうと、周囲の人々に届かない状況に直面する。自分が「笑いもの」になることによって、発言や主張が全く届かなくなるとすれば、それはまさに「人格を否定」されることに等しいだろう。

このように、「からかい」という行為は、「からかう」者と「からかわれる」者の関係の親密性を確認・表示する機能を持つのだが、その同じ「からかい」という行為の形式を利用して、非難されることなく他者を侮辱したり、人格的に否定したりすることもできるのだ。

 

なぜ「フェミニスト」は「からかわれる」のか?

この「からかいの政治学」の視点で、リブ運動やフェミニストがなぜ「からかわれる」のか、考えてみよう。

現代社会においては、日常生活においても、女性は「からかい」の対象になることが多い。その理由の一つは、女性が男性に比較して「威厳がなく、親しみやすい」ことにある。一般に社会的弱者は、周囲の人々の援助を必要とするために、自分の周囲に張り巡らす社会的距離(「バリア」のようなものを想像してほしい)が短くなる傾向がある。女性も、老人や子供と同じように、社会的弱者として位置付けられるので、「手伝いましょうか?」等の声かけがしやすいのだ。

他方男性は、自分の周囲に相対的に長い社会的距離を張り巡らしており、周囲の人からの声かけがしにくい存在と思われている。それゆえ女性は、男性にとっても、「親しみやすく」コミュニケーションしやすい存在になるのだが、そのため「軽く」扱われやすく「からかい」も受けやすいのである。

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