# フェミニズム

フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造

「からかいの政治学」は今も?
江原 由美子 プロフィール

このルールがあることが、発話者が「からかい」という形式を発言内容に対する責任回避のために利用することを、可能にする。相手が不愉快になるようなことを言っても、親密なもの同士の「からかいあい」という形式をとれば、言われたほうも怒れないだろうと予想できるからだ。

「からかわれた」者は、ここで怒ってしまえば、「親しいもの同士」という関係が壊れてしまうから、我慢せざるをえない。「からかう」者は、このことを利用して、相手が不愉快になるようなことを、わざと言うことが起こりうる。

 

話し手が「匿名化」される

「からかう」者の責任回避効果を強化するために使用されるもう一つの手段が、発言内容の匿名化である。「誰もがそう言っている」「皆そう思っている」など、他の人もそう思っているということを強調すれば、悪口を言っているのが自分だけではないと脱個人化できる。

たとえば、一般に「皆、自分自身の利益のために生きている」と信じられているので、「世のため他人のために献身している」強調する政治家や社会運動参加者を「からかう」には、誰もが持っているはずの自己利益を優先する動機を彼らにあてはめるのが、もっともよくとられる方法となる。「貧困をなくそう」としている政治家の本心は、「次期選挙での当選」にあるというわけだ。「真面目に」一生懸命何かに打ち込んでいる人は、「冷やかし」の対象になりやすいのだ。

「からかい」が持つ「遊び」の分脈を維持するうえで有効なのが、第三者を共犯者として確保することである。「からかい」の行為が、相手の人格を貶めたり、相手の主張を「くだらない」ことと決めつける「いじめ」や「誹謗中傷」になってしまうのは、多くの場合、両者の相互行為を見ている第三者(以下「観客」と記述しよう)がいる場合である。

「からかう」者は、周囲の観客を「からかい」のゲームに積極的に巻き込み、彼らを「からかう」者の共犯者にしようとする。観客を共犯者にすることができれば、「からかう」者は、「からかわれる」者よりも、優位に立てる。

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